離反、相剋を見出している。作品のテーマをなす知識人の人間苦として、深刻な凝視でこの一点をさまざまな局面の組合せの変化において描いているのである。
女の卑俗な意味での打算、散文性、日常主義の姿を、いきいきと描いた人には紅葉もある。荷風も描く。だがこれらの人々は浮世風俗の一つとして傍観的に描くのであるが、漱石の世界にあっては、女、とくに結婚している女のこういう性格が、良人である男を、死の際へまで追いやる精神的苦悩の原因として出て来ているのである。
荷風は、女を、くじかれたものとして眺め下す好みにいる。その好みの通る世界にとじこもっている。漱石は女を恐るべき生きもの、男を少くとも精神的に殺す力をもつものとして描いているのである。女の心を捕えようと欲する男の心持、その人間的な欲求が、女の敏感さの欠乏、精神的無反応、日常事の中での恐るべく根づよい居坐りかたなどによって、手も足も出ないような工合になる。その焦慮の苦悩は「行人」の「兄」が妻直子に対して「女のスピリットをつかまなければ満足できない」心持に執拗に描かれているのである。
最後の「明暗」に到って、女の俗的才覚、葛藤は複雑な女同士の心理的な交錯に達して、妻のお延と吉川夫人が津田をめぐって、跳梁している。箱根の温泉宿で、これら二人の女に対蹠する気質の清子が現れたところで、私たちは作者の死とともに作品の発展と完結とを奪われたのである。
「明暗」においても、漱石は女が結婚すると人間として悪くなる、少くとも素直でなくなり、品性がよくなくなるという彼の支配的な女性観、すでに「虞美人草」に現れている考えを反覆している。延子とその従妹との対照、お延が伯父から小切手を貰うところの情景などで、漱石は生彩をもってそのことを描いているのである。
結婚すれば女が人間としてわるくなる、という漱石の悲痛な洞察は、だが、漱石の生涯ではついにその本来の理由を見出されなかったし、従って果敢な解決への方向をも示されなかった。
トルストイは、「クロイツェル・ソナタ」を頂上として、結婚生活における人間の堕落を肉体的欲求への堕落に見て、人間性の高揚のために、家庭生活や結婚というものの従来の考えかたを、根本から懐疑し、否定した。漱石は、結婚が女を人間的に低め、そのために男も苦しみ、相互の悲劇であることを見ながら、やはり、結婚や家庭の日暮しというものの旧来の
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