両輪
――創造と評論活動の問題――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)臍《へそ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一|齣《こま》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号)
(例)里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]が
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 十一月一日から三日の間、新日本文学会の第三回大会がもたれた。こんどの大会は、各専門部会の報告、中央委員会報告、各地方支部、文学サークル協議会の報告で、充実したプログラムであった。第一回、第二回と大会をもってきて、去年から今年までの一ヵ年が、日本の民主主義文学の発展の過程として非常に複雑な、具体的な内容をもって経験されたことが示された。しかし、三日間の大会で討議の時間は最終日にわずか二時間たらずになってしまったことは、問題の発展的な討議を不十分にした。
 こんどの大会の第一日に、小説部会の報告があった。よく整理され、十分間で、一年間の小説部会としての報告が行われた。そして、この報告は、報告そのものが一つの問題としてあらわれた。過去一年間の新日本文学会員の創作活動が、作者と作品の題名、発表誌の名だけをならべて報告されたぎりで、各作品が民主主義文学のきょうの段階にとって、どういう意義をもつものかという評価は一つも行われなかった。そのかわり、小説部会は、第三回大会に向って民主主義文学の基礎である三つの問題をだした。一、「創作をはばむものはなにか」、二、「評価の基準」、三、「民主主義文学の主体はなにか」これら三つの基本的問題が、こういう問いの形でだされなければならなかった以上、小説部会の報告が創造活動についてただ記録し羅列する形しかとれず、発展的、鼓舞的なヒントを与えられなかったわけである。小説部会の報告では、過去一年間理論と創作活動とがてんでんばらばらに行われ、各作家もそれぞれの特質を発揮して活動したにもかかわらず、民主主義文学運動として統一綜合された力として感じられなかったという点もふれられた。
 ところで、三日の間、理論部会や中央委員会の報告をきいたわたしの心に、やはりこの小説部会報告のなかにあったような、一つのみたされないこころもちがのこった。それぞれの報告は、それとして熱心であり、勉強されており、発展的なモメントをふくんでいながら、会衆の精神をめざまし、情感をかきたて、民主主義文学のために努力しているものとしての歓喜や勇気を感じさせる統一的な熱量を欠いていたことである。一つ一つの報告が盆にのせられた果物のようにあらわれた。生きて、交流して、たがいに響き合うなにかが欠けていた。これは議事の進めかたとも関係があっただろう。しかしながら、やっぱり感銘としてはそのものたりなさが深くのこった。徳永直が折にふれてよくいう文学的なぬくもりの不足という言葉も思い浮んだ。
 文学のあたたかさ、熱気、創造にはげましふるいたたせる熱量は、けっして世俗の人情の上にだけ立つものではない。千八百円ベースの日々の辛酸が図表や統計にあらわされて、バケツは二百年に一箇、靴七年に一足と示されたとき、家々のチャブ台のまわりの歎息は公の場所にその整理された形での実感を見いだし、実感が必然の行動にうつるスプリング・ボードの一つともなってくる。創作への情熱は、作家の実感のなかで、テーマへのうちこみと表現の欲望のうずきとして感じられるものではあるけれども、そのうちこみをもたせる自分のテーマへの信頼は、どこから生れるだろう。あるテーマは本質的にある表現をもたせるが、それがそれでよい、という文学上の信念は、どこから湧いてくるだろう。今日の社会と文学の現実はいくらかでも、社会的自覚をもって、前進的に生きようと欲し、前進的な文学を生みたい望をもっているものにとって、個人的な、才能主義で解決するようなものではない。文学的情熱の抛物線が大きくゆたかであるためには、ごくしっかりした、ふみごたえのあるスプリング・ボードがいる。
 日本にプロレタリア文学運動がおこって、文学の価値評価の客観的な基準の問題がとりあげられるまで、日本の文芸批評は、ほとんどすべて批評するものの主観による印象批評であった。一人の若い婦人作家が、少しずつ作品をかきはじめたようなとき「臍《へそ》のあかでもほじっているがいい」というふうにいわれた場合、批評と創作活動とのおかれる関係は、だいたい想像される。その時分、すべての作家は里見※[#「弓+享」、第3水準1−84−22]がそのころいっていたように批評を無視する態度をとった。本心において批評を気にしないわけではないが、それを気にしていたら、一つの小説もかけないような工合だった。一人一人の批評する人が、てんでのうけとりかたばかりに立って、内在的な心理や感受性にしたがって感想をのべ、注文するのであったから。
 プロレタリア文学運動の初期に、平林初之輔によって外在批評の提唱がされ、だんだん客観的・科学的な評価の基準が究明されていった。一九三三年プロレタリア文学運動がまったく抑圧されてしまうころ、まだ日本の進歩的な文学における評価の基準は、しんから確立しきっていなかった。それは、当時の日本に独特な転向という現象が各方面におこっていたことを思えば十分わかる。進歩的な文学の評価の基準の一つとなる社会発展の歴史的な現実認識、文学における階級性の自覚の問題は一九三三年、屈伏に便利な多くの歪曲をもって行われた過去のプロレタリア文学運動批判ということのなかで、きわめてあやふやな、動揺的なものとされた。そして、今日わたしたちにもたらされている不幸は、それからのち文芸評論の仕事を志し、プロレタリア文学理論を学んだ少からぬ人々が、その骨子を歪められた批判的プロレタリア文学運動史を土台にし、暴力に対して膝頭をかがめた階級文学の諸理論のなかをひきまわされながら、現在の活動力を蓄積しなければならなかったという事実である。
 プロレタリア文学運動がはじまってから、作家と理論家との活動は、当然新しい統一と協力の方向をとった。そのころの日本における階級的自覚の段階から必然されて、プロレタリア文学運動では、理論活動が創作活動よりも先進した。自然発生にあらわれはじめた無産者文学一般の中に、プロレタリア文学とルンペン・プロレタリアート文学とのけじめをつけ、プロレタリア文学と農民文学、同伴者文学との現実的な関係をあきらかにしたのも、プロレタリア文学理論であった。文学内部の課題として、世界観の問題、内容と形式の問題、リアリズムの発展についての研究、主題の積極性の問題など、すべての理論活動は、作家の創作活動の具体的な動きに沿いながらも一歩半歩ずつ先に立って、未知の社会的・文学的崖に、切りどおしをつける役割をもった。その間に、理論家と作家との感じる困難がなかったわけではない。多くの摩擦があった。作家はいつの時代にでも、一つの段階からより成長した段階への移行に時間がかかる。作家にとってその成長のひとまたぎは、どんなにささやかなものであるにしても、つねに血肉をもって生きられたひとまたぎでなければならなかった。しかし、理論家にとっては一篇の作品を細心に吟味することで、プロレタリア文学として次の発展段階へ、しかじかにありたい、という要望をひき出すことが可能である。作家が、その要望を自身のものとして実感したとしても、作品の現実でそれを具体化することは、必ずしも、作家にとって一二ヵ月の間にゆるされる可能でない場合が多い。とくに、プロレタリア文学において、この点は深い意味をもっていた。プロレタリア文学における作家の成長は、ブルジョア文学の分野にあるように、ただ書きかたのこつ[#「こつ」に傍点]の問題ではないし、独特性の異色の獲得でもないし、ましてただ珍奇な題材の発見の問題ではない。プロレタリア作家は、日本の社会の歴史とともに階級的に成長しなければならなかったのだから。極端な暴圧とたたかい自身の恐怖を克服しながら――。
 プロレタリア文学運動で、はじめて日本の作家の一部がこれまでの小説をかくこつ[#「こつ」に傍点]や文学のかん[#「かん」に傍点]以外の客観的なところに自身の創作理論をもつことができるようになった。作家が評論風な執筆をする能力をもってきた。これは、感性的・主観的にだけ流れてきていた日本の現代文学史の中で注目される一|齣《こま》である。そして最も興味あることは、この現象が一人の作家の上に、大きい矛盾としてさえあらわれたことである。たとえば、わたしのように、文学における階級性の問題などまったく知らずに書きはじめた作家が、プロレタリア文学運動に参加したとき、理論的な大すじについての理解と創作活動の実践にくいちがいをおかした。理論めいたことについて、理解が素朴であるだけにむしろ極端に強硬だが、創作は正直に自身の新しい生活経験の蓄積の貧寒さをあらわして、ろくな小説一つもかけないという、当人にとって苦しく、文学史的には興味つきない時期をももたらしたりした。
 今日、民主主義文学の運動のなかで、理論的活動と創作活動との統一、有機的な協力は、いっそう重要になってきている。なぜなら、世界の資本主義がファシズムにまで進んだ一九四〇年以来、被害をうける人民層は労働者階級ばかりでなくなった。フランスが反ファシズム運動としての人民戦線、文化擁護運動を世界に提唱したときから、すべての人民層は、インテリゲンツィア、中小工業者までをふくめて、自身の生存権のためにたたかわなければならなくなった。プロレタリア文学運動が、民主主義文学の運動として展開される必然は、こういう世界史的な人民的基盤をもっている。そこでは、あらゆる社会階層の、あらゆる生活内容の、あらゆる矛盾をもった精神が、ただひとすじ、人民的生存の要求にせき上げられて、抑えがたい声をあげてゆくわけである。作品は、それが作家の全実感に支えられ肉体的なものであるという意味で、理論的労作にくらべれば、どういう場合でも、自然発生的な要素をもっている。種々さまざまのニュアンスと角度をもって生れる民主的傾向の諸作品を、民主的な人民の歴史の推進勢力である労働者階級の現実と課題にてらしあわせて、それぞれがどういう関係におかれるものであるかを明瞭にし、同時にそのことでそれらの作品をかいた作者たちに、客観的にあらわれた自身の階級性と発展の歴史とのつながりにおけるその在り場所、将来の展望を与えることこそ、民主的理論活動の任務である。
 われわれの理論活動は、このたのもしい義務を活溌に果してゆくためには、まだ十分成熟していず、骨格がしっかりしていない。このことが新日本文学会の第三回大会の小説部会の報告に赤裸々に表白された。そして、この報告につづくいくつもの理論部会の報告は、おのずから、小説部会からの訴えが根拠のないものでないことを感じさせたのであった。
 今日民主的立場に立つ若い評論家は、新しい作家が成長してくるよりも早い速度と人数とで活動に参加しはじめている。それは、第三回大会で、理論部の報告をした人々のほとんどすべてが、去年の大会にはそういう部署についていなかった新人であったことをみてもわかる。
 新しく活動にしたがうようになった評論家は、それぞれにちがいながらある共通な困難をもっている。それは、これらの人々も日本のインテリゲンツィアとして、全人民の一部として、久しい戦争の年々の間、理性的文盲政策のもとに苦しみ、すき間から洩れる光を追うように、自分たちの生存と文学の理性を辛くももちこたえてきたと同時に、マイナスの面もさけきれなかったという事実である。
 戦争の年々の絶大なマイナスのために日本の民主化は今日混乱し、独善にはびこられてもいる。作家も評論家も、この混迷からまったく自由にはなっていない。日本の民主主義革命の現在の本質をはっきりつかまないところからおこるブルジョア民主的な自我確立論、または、実際の批評にあらわれたような部分的形象
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