てんでのうけとりかたばかりに立って、内在的な心理や感受性にしたがって感想をのべ、注文するのであったから。
プロレタリア文学運動の初期に、平林初之輔によって外在批評の提唱がされ、だんだん客観的・科学的な評価の基準が究明されていった。一九三三年プロレタリア文学運動がまったく抑圧されてしまうころ、まだ日本の進歩的な文学における評価の基準は、しんから確立しきっていなかった。それは、当時の日本に独特な転向という現象が各方面におこっていたことを思えば十分わかる。進歩的な文学の評価の基準の一つとなる社会発展の歴史的な現実認識、文学における階級性の自覚の問題は一九三三年、屈伏に便利な多くの歪曲をもって行われた過去のプロレタリア文学運動批判ということのなかで、きわめてあやふやな、動揺的なものとされた。そして、今日わたしたちにもたらされている不幸は、それからのち文芸評論の仕事を志し、プロレタリア文学理論を学んだ少からぬ人々が、その骨子を歪められた批判的プロレタリア文学運動史を土台にし、暴力に対して膝頭をかがめた階級文学の諸理論のなかをひきまわされながら、現在の活動力を蓄積しなければならなかったという事実である。
プロレタリア文学運動がはじまってから、作家と理論家との活動は、当然新しい統一と協力の方向をとった。そのころの日本における階級的自覚の段階から必然されて、プロレタリア文学運動では、理論活動が創作活動よりも先進した。自然発生にあらわれはじめた無産者文学一般の中に、プロレタリア文学とルンペン・プロレタリアート文学とのけじめをつけ、プロレタリア文学と農民文学、同伴者文学との現実的な関係をあきらかにしたのも、プロレタリア文学理論であった。文学内部の課題として、世界観の問題、内容と形式の問題、リアリズムの発展についての研究、主題の積極性の問題など、すべての理論活動は、作家の創作活動の具体的な動きに沿いながらも一歩半歩ずつ先に立って、未知の社会的・文学的崖に、切りどおしをつける役割をもった。その間に、理論家と作家との感じる困難がなかったわけではない。多くの摩擦があった。作家はいつの時代にでも、一つの段階からより成長した段階への移行に時間がかかる。作家にとってその成長のひとまたぎは、どんなにささやかなものであるにしても、つねに血肉をもって生きられたひとまたぎでなければならなかった。しかし、
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