に離婚の自由が認められた、ということは、特にこれまで隠忍をつづけている、日本の女性にとっては、何か復讐的な快感であるかもしれない。妻に向って「出てゆけ」という言葉は、これまでのように、出てゆけば明日から路頭に迷わなければならないものに向って云われる、おどかしの言葉ではなくなった。出てゆけ、という一言には、出てゆかせるものの責任が示されて来たのである。
けれども、それくらいのことで、本当に日本の社会で、婦人の結婚と離婚の自由は、人間としての尊厳を完くする力となるのだろうか。
大体、日本の最近の離婚の原因が、家庭経済の破綻にあるのが多いということに、私たちは注目しなければならない。そして、こういう離婚者の年齢が婦人として案外ふけていることも注目される。この事実は何を語っているだろう。離婚をのぞむ今日の日本の婦人たちが、ひとにも公然と語る離婚の理由として、まだ互の性格を問題にしたり、人間としての生活態度を動機としたり、愛の破綻を原因として自覚し、堂々とそれを表現するところまで、行っていないと考えることもできる。「世帯」のため「親がやかましくいうので」結婚した男と女との間で、仲人とか周囲の
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