に離婚の自由が認められた、ということは、特にこれまで隠忍をつづけている、日本の女性にとっては、何か復讐的な快感であるかもしれない。妻に向って「出てゆけ」という言葉は、これまでのように、出てゆけば明日から路頭に迷わなければならないものに向って云われる、おどかしの言葉ではなくなった。出てゆけ、という一言には、出てゆかせるものの責任が示されて来たのである。
けれども、それくらいのことで、本当に日本の社会で、婦人の結婚と離婚の自由は、人間としての尊厳を完くする力となるのだろうか。
大体、日本の最近の離婚の原因が、家庭経済の破綻にあるのが多いということに、私たちは注目しなければならない。そして、こういう離婚者の年齢が婦人として案外ふけていることも注目される。この事実は何を語っているだろう。離婚をのぞむ今日の日本の婦人たちが、ひとにも公然と語る離婚の理由として、まだ互の性格を問題にしたり、人間としての生活態度を動機としたり、愛の破綻を原因として自覚し、堂々とそれを表現するところまで、行っていないと考えることもできる。「世帯」のため「親がやかましくいうので」結婚した男と女との間で、仲人とか周囲の常識とかを納得させる離婚理由は、誰にでも通用する「さきの見込みがない」ということであるのだろう。愛がうつろい、その冷たさに耐えないで、夫という苦しみの対象から解放されたい女の心も、日本では世帯とか、さきの見込みにからめて主張されるのであろう。
どういうきっかけ[#「きっかけ」に傍点]にもせよ、離婚は家庭の分離であり、現代にそれが殖えたということには、必ず、深い社会的根拠があるはずである。第二次大戦の多くの国々に離婚がふえたことは、強大な資本主義の民主国の社会でも、勝った国でも、その社会のなかに発生している様々の微妙な矛盾の影響をうけて、経済的にも、心理的にも、一つ一つ切りはなされて営まれている形のままでは、これまでの家庭の平安が保てなくなって来たことを物語っているのだと思われる。
結婚の自由と民法がいっても、現実に住居のないこと、月給の少いこと、戦争によって多くの家庭は新しい扶養者をもたざるを得なくなっていることなどで、自由な結婚はなかなか出来ない。全逓の従業員組合は、十数万の結婚適齢従業員のために、結婚資金を要求した。生きて働いてゆく給料さえ出さない政府が、どうして結婚資金までを
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