く場合、作者は対象に面と向って、或は対象の内部へまでくぐり入って描き出しており、本屋での場面のような鋭い情景として内容のこもった立体性を捕えている。私は、この作で作者が自身のスタイルを試しているようなのが面白かった。流行の説話体というものは、或る独特な作家的稟質にとってだけ、真にそのひとの云おうとすることを云わしめるもので、多くの他の気質の作家にとっては、必要でもない身のくねりや、言葉の誇張された抑揚や聴きてを退屈させない芸当やらを教え込むもので、意味をなさぬ。深田氏は、くねくね式説話には向かぬ天質の人に生れているのではなかろうか。やっぱり正面から当るたちではなかろうか。深田氏はこの作を書き終ることで、その点をどう考え、作家としての自己をどう発見しておられるか。私はそれらのことを、考えるのである。
ところで、作中の梅雄が学生運動の最も盛んであった時期に経験した内的成長の過程を語る部分に、次のようなところがある。
「梅雄は理論的にはこの主義に何の反対も見出さなかった。ばかりでなく、これより他に……さえ信じていた。それでいて、その中に飛び込むのを留める何物かが心の中にあった。」臆病もあっ
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