といつも遠吠えだ。死人《しびと》の魂を動物の本能が感じて恐怖するという遠吠えだ。ワオーと、鼻にぬかして遠吠えする。
天気のいい、そして、或る私が最も神経的になることさえ起らない時なら、その斑犬を見るのも平気だ。困るのは或る一事の外天気のわるい時、雨の降る日。この時こそ私にとって目かくし役をする傘がどんなに有難いかわからない。どんな主人が住んでいるのであろうというのはここのことだ。軒下へ犬小舎を置いてやらない主人は、雨が一日びしょびしょ降りつづいても、小舎を雨ざらしの門傍に出したままだ。坂からの傾斜があるから、泥水はどしどし門内に流れ込む。粘土が泥濘《ぬかるみ》になる。小舎の敷藁――若しあるとして――もぐちょぐちょであろう。斑の、いやに人間みたいな顔付の犬は、小舎の中にも居られず、さりとて鎖があるから好きな雨やどりの場所を求めることも出来ない。苦しまぎれに、自分の小舎の屋根の上に登って四つ脚で突立っている。毛は絶えず雨に打たれる。食物の空《から》瀬戸茶碗がころがっている。樫の枯葉が背中にはりつく。人さえ通ると、ああこれは冷たい、居心地わるい、悲しい、犬でも悲しい。と訴えるように、人間じみた斑の顔を動かして吠える――遠吠えの短いのをする。鎖を鳴しつつ、危い屋根の上で脚を踏みかえ、ブルブルと佗しさあまる身震いをする。
だから、私はいやだというのだ。犬の心が傘一重でふせぎ切れるものか。私の足の裏まで雨水づかりで、やり切れなくなったような心持がして来る。
主人はどういう人なのだろう。
もう一つの或ることというのは、私の二階から彼方の木立越しに見える小窓の奥に坐している人と、この斑犬との関係だ。私が、斑犬の遠吠えを気にするのは外でもない。此方で奇妙な不幸な境遇に置かれた犬が、冬の青空に向って遠吠えると、きっと暫くして、あの小窓の奥の女の人も吠え出す。やはり遠吠えで、半獣的な、意味の分らない叫声を、喉の奥から心から送り出す……狂人なのだ、その女の人は。有名な精神病院の監禁室の一部が丁度此方向きになっているので、見まいとしても私の眼に、その鉄棒入りの小窓が写る。
空地があるから、一町ばかりある距離を踰《こ》えて、斑犬の遠吠えが小窓の中へ聞えるらしい。おや、と気づいて耳を澄していると、大抵一分たたないうち、微かな女の唸り声が伝って来る。一度で犬はまたやめたことがない。二度、
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