云われても永く借しちゃ置けない。――二十日に御法事があったもの。是非その日は帰ってもらわなくちゃならないから今日が――何日? もう十六日でしょう、ほんの僅だ、行って上げなさい」
 行くとも行かぬとも返事をせず、秋日和を自分の体で堰いていくらか暗い鉄瓶のところをみつめているうちに、縫子は妙に情けない気持になってきた。当のない暮しという思いが身に徹えて感じられた。今度はここへ行く。またあそこへ行く。そうやっている自分に何ともいえず哀れっぽいものが感じられる。縫子は涙ぐんだ。するとなみが、お針子を憚って低い声で、
「なんですね」
とたしなめた。
「そんな意久地のないことでどうなります。何も涙なんぞ出すことないじゃないの」
 強く云われると縫子は音も立てず一層涙をするする頬につたわらせた。なみは当惑そうにそれを見ていたが、
「どうしてそうでしょうね」
と歎息した。そして縫子の生れたままの弱い不活溌な心に霧のようにいつもかかっている一種の生存の苦しさなどにはまるで心づかず、
「晩にでも大村さんへ行って診てもらって来なさい、よほどどうかしているもの」
と勧めた。



底本:「宮本百合子全集 第二
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