がら、暮方になったらきっと入れて呉れとたのんでも行われない事を思うといやな気持がする。
何でもない事だのにして呉れれば好い。
とは思うけれ共うっかり母にでも云おうものなら、
「ああ何でもない事だから自分でするのが好い
とでも云われるだろう。
大小にかかわらず自分の命令の用[#「用」に「ママ」の注記]われないのは腹の立つものだ。
部屋に帰ってしばらく書いて居ると右の手がたまらなくけったるい。
どうしたんだろう又リョーマチかしらんと思う。
年に似合わしくない病気持が恥かしい様だ。
火の番の拍子木が馬鹿に透る。
一町ほど先の角をまがってもまだきこえて来る。
こっちがしずかで居るので私の部屋から一番近い隣の家の茶の間での話し声がわけは分らぬなりにはっきりきこえて来る。
火の番の音をきくと、
「お稲荷さあーん
と長く声を引いてあるく「稲荷ずし売」の事を思う。
田舎からぽっと出の女中が、銭湯の帰り何か変なものをさげて叱鳴《どな》って歩く男の気違が来ると横丁にぴったりと息をころして行きすぎるのを待って家へ走りかえったと云う話なんかも思い出す。
「のれん」の中に首をつっこんでフーフ
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