しく思わずにいられない気がするのであった。
 多代子は三人づれで戻って来た若い心のそんな微妙な翳《かげ》にはまるで心づかず、アルバムを持ち出して中学生姿で自転車をもっている自分の息子たちと順助との写真をさよ子に見せたりした。さよ子は、昼間と同じようなしずかな愛嬌よさで、そんなものを眺めたり、多代子の言葉に応接している。さよ子とすればそうしているしかないこともわかるのであったが、その落つきに、さよ子として全くきずつけられているもののない、いわば玲瓏無垢な薄情さのようなものを桃子は感じとるのであった。

 翌朝、桃子はその海岸から真直丸の内の勤め先へ行った。二日つづいた休日の後、なかなか多忙で、英文速記も何通かあった。ひまになると、順助のことが気にかかった。海岸で犬の前脚をつかまえて遊んでいた順助の横顔が髣髴《ほうふつ》した。すぐ電話をかけて来たりしない気持のこたえも、桃子はその人らしく思うのであった。
 四日ほどして、順助が誘って外で夕飯をすましてから、二人は椎の若葉、樫の若葉、楓の若葉、様々の変化をもった新緑の柔かなかさなりをアーク燈で照している日比谷をぬけて暫く歩いた。
「――桃ちゃ
前へ 次へ
全26ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング