それに気づかないでいる。さよ子のその自然さも、順助にはわかる。
三人は、階下で花なども売っている有名な果物店の上で冷たい飲みものをとり、そこからぶらぶら有楽町の駅まで行った。出札口のところに切符を買うひとの列が出来ていて、順助はその一番しまいに跟《つ》いたが、何気なく帽子をかぶり直す横顔に微かな当惑の色の浮かんでいるのが桃子の目に入った。ああ、きっとかえる方向が別々なのだ。桃子がひとりになるのを順助は気にしているのだ。
「お宅――どちらですの?」
「ずうっと大森」
桃子は、
「順助さん――私の分まで買う気なんじゃないのかしら」
ひとり言のように呟いた。
「ちょっと失礼、ね。いってくるから。――私パスなんですもの」
書類入鞄からパスを出して、桃子は順助に向って歩きながら、これ、これ、という風に動かしてみせた。そばへ行くと少し声を落していった。
「――私大丈夫だから――ほんとに心配しなくていいのよ」
「ああ」
列にならんで雑踏するプラットフォームへ出ると、順助は半分冗談めいて、
「どっちが先へ来るだろうかな」
と、左右の線路を見くらべるようにした。やがて、それにはちっともふざけたところのない暖かさのある声で、順助は、
「桃ちゃんが乗ってしまうまで待っててやるよ」
というのであった。
二
中学の二年のとき父を亡くしてから、順助は半分は伯父である川田の家で桃子たち兄姉のなかにまじって成長したともいえる工合であった。三つ年上の広太郎がいつも順助の兄役であった。そのこともあったろう。でも、折々桃子が不思議に思うくらい、桃子の思い出のなかには順助と遊んだいろいろの情景が濃くのこされて来ている。
たとえば夏のかっと灼《て》りつけた庭土の上を蟻が盛に歩いているのを眺めたりしたとき、桃子の若い回想のなかに甦って来るのは、いつもうちの離れの前栽の景色にきまっていた。
茶室づくりの離れの前栽には、松や蕚などがひっそり植えこまれていて、暑い昼間、蜥蜴《とかげ》が走った。小さい桃子のおでこにざらざらした麦藁帽子の縁がさわっている。それは順助がかぶっているのであった。桃子は四角な踏瓦をひっくりかえした下から現れ出た柔かい土とそこにある蟻の卵とを、びっくりして眺めていた。
「ほら、おどろいているんだよ。駈けてるだろ、卵をよそへ運ぼうとしているんだよ」
しかし
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