若々しい感情の波だちをもって人生に生きるものを、その幼稚さで嘲笑するのであるが、(そしてこのことは日本の文筆家の中に残されている強い封建制の現れとも見られるのであるが)若し我々が本当に動的《ダイナミック》な世界観をもつリアリストであるならば、作家として倦怠に陥入ることは殆んどあり得ないことと思う。モウパッサンが後年何故あのような現実の平凡な反覆という文句を繰返して苦悩したかということが、ここで考えられて来るのである。
彼の秀れた教師フローベルはモウパッサンにこういって教えた――「世の中に石ころでも二つ全く同じ石ころというものはない。それを書き分けろ」――と。モウパッサンはそのように努力した。けれども表面に現れる現象だけを追究して、違ったもの違ったものと求めても全くそこにはモウパッサンをして歎かしめたような反覆しか認められず、やがて絶望へ逐い込まれるであろうということはよく分る。現実の面白さは、表面から、同じ石ころでない、二つの石ころを探すという現象の捉えかたにあるのではなくて、むしろ表面には一見同じようなものとして表われている現象の、複雑な内容にまで触れてそれを観ると、実はそれぞれがそれぞれの過程をもって現代の社会の根本的な矛盾を反映している。そこを芸術の中に照し出すというところに有ると思う。リアリストの眼はその急所を掴む眼であり、その眼は社会の現象万端を動的な発展的なものとして観ることの出来る世界観によって培われるのではあるまいか。
私は、自分一人の問題に就いて与えられた質問から拡って、リアリズムの問題にまで触れているのであるが、今日の現実の中で我々が何故社会主義的リアリズムという立前に立ちうるか、そのような現実の根拠は何処にあるか、ということについて、読者も恐らく興味を持たれるであろうと思うが、それはまたの機会にしたい。[#地付き]〔一九三四年十二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「文芸通信」
1934(昭和9)年12月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
2005年11月8日修正
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