、まだ教えてくれないけれど……」
「――女優になるの?」
お千代ちゃんは黙って頸を下げた。その時、由子は、紅玉《ルビー》色の、硝子の、薔薇《ローズ》カットの施こされた簪《かんざし》をお千代ちゃんのたっぷりした束ね髪の横に見たのであった。
是非お千代ちゃんは神戸へ行かなければならなかった。由子は自分の髪の毛で、小さい三つ組を拵え、指環のような形にし、餞別にそれをお千代ちゃんにやった。
二三年後お千代ちゃんに再び会った時、彼女は銀杏《いちょう》がえしに結った芸者であった。――
稚かった自分に全然解らなかった生活の力が、お千代ちゃんを動かしていたことを理解し、由子は、高燥な夏の真昼の樟の香が鼻にしみるような心持になった。
由子は遠く山巓《さんてん》に湧き出した白雲を見ながら、静かに心の中で愛する紅玉色の硝子玉を撫で廻した。
後 記
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この一篇を書き終った時、私の胸は別れて久しいお千代ちゃんの懐かしさで一杯であった。我が小さく拙《つたな》い毛の指環よ。ひろい世の中へ出て行って、どこかで、どのようにか、彼女の生活を送っているだろうお千代ちゃんにめぐり遇え。
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