根強いふるさがのこっていることもわかって来ている。ちょうど新しいといわれる憲法に旧い胎生細胞がのこっているように……。
今日まじめに新しい男女の人民的な協力、その具体的なあらわれについて考えている人たちは、はっきりとこれらのふるさも認めている。自分の中にも周囲の中にもあるそれらの旧い習慣と闘かって、自分たち自身の感情をもっと社会的な、はっきりした独立人としての男と女との協力の感情に育ててゆこうとしている。
年とったひとのためには、ただ若い華やぎとうつる青春の生活の基礎に健全なこういう種類の友だち、仲間、協力者としての異性の関係が成長していることを周囲にわからせようとしている。ところで、本当に人間らしい関係に立って男女が協力し合うということの実際は、どんな風にあらわれるものだろう。アメリカの漫画によくあるように男が女からかけられたエプロンをかけて、女の代りに子供のオムツも洗ってやる、と誇ることだろうか。
一時のこと、特別な場合として勿論そういうことも起るのは生活の自然だけれども、男女の協力ということは、決して、今日あるがままの女の仕事を男が代ってしてやること、または、男のするはずの
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