正しい労働から得られない実際、そしてまためいめいの家庭はインフレーションによって、せまいながらも楽しいわが家と歌われたそのつつましい安心のよりどころを失って、食べものの分配にからんでさえも、嶮しい感情がひそめられるような状態になっている。こういう周囲の下で自由であろうとする気持、伸びるだけ伸び、飛び立ちたい心もちでいる娘の気持は何を頼りに拡がってゆくのだろう。そこには、ここでいわなくてもすべての人にわかっている悲しい広い病毒に飾られた道がある。そして今日どれほどの若い女性たちが、その生活の半分は堅気でありながらかげの半分では時々その道を歩く娘として生きているだろう。あるいはまた、いま歩いている道はまともな道だけれども、実にその道はすれすれに誘惑ととなり合わせていることを感じて生きていることだろう。若い女性たちの中に、この頃、はっきりこういう危険な状態を見分ける鑑識ができてきた。一見ささいなこの実力こそ私たちが大きい苦痛と犠牲を払って進んできた一歩前進の最もたしかな収穫であると思う。若い女性たちは自分もその一人としてきょうの人生を歩いている女性の大群の道幅というものを見きわめはじめてきた。あの道へはどういう過程で入ってゆくか、またこの道はどういう方向へ進むものか、そこを見きわめようとするまじめな眼ざしが見えてきている。これは実に嬉しいことだと思う。そして私たちは決して絶望することは要らないと思う。これらの若い人たちが自分たちの歴史の発展のいちばん確かな道として踏みしめてゆこうとしているのは、真実のある、男女がお互いに正直に協力し幸福に生きてゆく可能の保障された新しい社会関係をうちたててゆく道である。ほんとうに新しい人間らしい仕組みの社会をつくってゆくことに協力し、そうしてつくられる社会の下で更に美しく男女が協力して生きられる人生を計画していると思う。
あらゆる職場、あらゆる学校の生活で、自然な協力が両性の間にもたれるべきだと思われてきた。その理解は相当行渡って来ている。けれども私たちの生活には習慣というものもあり、その習慣は、いつも進歩したものの考えかたよりはふるい。自分たちの心や感情にある習慣の一部が旧いということがわかってきたと同時に、親たち、兄たち、または夫、そういうこれまで特に女の人の生活に対して多くの発言権をもっていた人たちの考え方の中には、もっとそれより
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