呂に入りに来たまま泊り、翌日夜になって、翻訳のしかけがある机の前に戻る。そんな日もあった。そこだけ椅子のあるふき子の居間で暮すのだが、彼等は何とまとまった話がある訳でもなかった。ふき子が緑色の籐椅子の中で余念なく細かい手芸をする、間に、
「この辺花なんか育たないのね、山から土を持って来たけれどやっぱり駄目だってよ」
などと話した。
「あ、一寸そこにアール・エ・デコラシオンがあるでしょう? これ、そんなかからとったのよ」
白リネンの小布を持ち上げて、縫かけの薊《あざみ》の図案を見せる。――膝に開いた本をのせたまま手許に気をとられるので少し唇をあけ加減にとう見こう見刺繍など熱心にしている従妹の横顔を眺めていると、陽子はいろいろ感慨に耽《ふけ》る気持になることがった。夫の純夫の許から離れ、そうして表面自由に暮している陽子が、決して本当に心まで自由でない。若い従妹の傍でそれが一層明かに自覚された。ふき子の内身からは一種|無碍《むげ》な光輝が溢れ出て、何をしている瞬間でもその刹那刹那が若い生命の充実で無意識に過ぎて行く。丁度無心に咲いている花の、花自身は知らぬ深い美に似たものが、ふき子の身辺に
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