端、けたたましい叫び声をあげて廊下の鸚哥があばれた。
「餌がないのかしら」
ふき子が妹に訊いた。
「百代さん、あなたけさやってくれた?」
百代は聞えないのか返事しなかった。
「よし、僕が見てやる」
篤介が横とびに廊下へ出て行った。
「猫が通ったんだよ」
弾機をひねくりながら悌がもったいぶっていったのが、忽ち、
「何? え、今のなに」
と、機械をすて篤介のところへ立って行った。
「何するんだい、この糸」
「糸じゃないよ」
「糸だい」
「馬の尻尾《しっぽ》だよ」
「ふーむ、本当? どこから持って来たの」
「抜いて来たのさ」
「――嘘いってら! 蹴るよ」
「馬の脚は横へは曲りませんよ。擽《くすぐ》ったがってフッフッフッって笑うよ」
ふき子が伸びをするように胸を反して椅子から立ちながら、
「みんな紅茶のみたくない?」
「賛成!」
忠一が悲痛らしく眉を顰《しか》めて、
「何にしろ、蝦姑《しゃこ》だろうね」
といった。
「全くさ」
大きな声で、廊下から篤介が怒鳴った。
「蝦姑《しゃこ》にするたあ洒落《しゃら》くせえ!」
「でも、本当に、海老なかったのかしら」
小さい声で、思い出したようにふき子がいったので陽子は体をゆすって笑い出した。
彼等は昨夜、二時過ぎまで起きて騒いでいた。十時過ぎ目をさますと、ふき子は、
「岡本さん、おひる、何にしましょう、海老のフライどう?」
話し声が、彼等のいるところまで響いた。
「フライ、フライ!」
悌が最も素直に一同の希望を代表して叫び、彼等は喜色満面で食卓についた。ところが、変な顔をして、ふき子が、
「これ――海老?」
といい出した。
「違うよ、こんな海老あるもんか」
「海老じゃないぞ」
「何だい」
口々の不平を泰然と岡本はちょいと意地悪そうに眉根をぴりりとさせながら、
「生憎海老が切れましたから蝦姑にいたしました」
と答えた。――忠一や篤介と岡本は仲が悪く、彼等は彼女がその部屋におるのに庭を見ながら、
「おい、うらなりだね」
「西瓜糖はとれないってさ」
などといった。無遠慮な口を、岡本はまるで聞えなかったように、
「忠一さま、お茶さし上げましょうか」
と、丁寧な声と眼差しとで手をさし出す。その蒼白い頬に浮かんでいる軽蔑を、陽子は苦しいほど感じて見ることがあった。……
紅茶を運んで来た岡本の後姿が見えなくなると男たちは声を揃えて、
「ワッハッハ」
と笑い出した。さすがに今度は、
「およしなさい」
ふき子にきつく窘《たしな》められた。不幸な嫁入り先から戻って来てそのような暮しをしている岡本から見ればふき子も陽子も仕合わせすぎて腹立たしい事もあろう。陽子は、世界が違う気楽な若者と暗闘する岡本の気持がわかるような気がした。
彼等は皆で海岸へ出た。海浜ホテルの前あたりには大分人影があるが、川から此方はからりとしていた。陽炎で広い浜辺が短くゆれている……。川ふちを、一匹黒い犬が嗅《か》ぎ嗅ぎやって来た。防波堤の下に並んで日向ぼっこをしながら、篤介がその犬に向って口笛を吹いた。犬は耳を立て此方を見たが、再び急がしそうに砂に鼻先をすりつけつつ波打ちぎわへ駆け去った。
「あら、一寸こんな虫!」
陽子は、腹這いになっているふき子の目の下を覗いた。茶色の小さい蜘蛛《くも》に似た虫が、四本のこれも勿論小さい脚でぱッ、ぱッ、砂を蹴あげながら自分の体を埋めようとしていた。ぱッと蹴る、勢いがよく、いくら髪針《ピン》の先でふき子が砂の表面へ持ち出しても見る見る砂をかぶる。傍から、忠一も顔を出し、暫くそれを見ていたと思うと、彼はいきなりくるりとでんぐり返りを打って、とろとろ、ころころ砂の斜面を転《ころ》がり落ちた。
「ウワーイ」
悌が手脚を一緒くたに振廻してそのあとを追っかけた。けろりとして戻って来ながら、
「とてもすてきだよ」
忠一は篤介にいった。
「やって御覧、海が上の方に見えるよ」
「どーれ」
篤介は徐ろに帽子を耳の上まで引下げ、腕組みをし、重々しく転がって行った。悌が、横になると思うや否や気違いのようにその後を追っかけた。
「ウワーイ」
「ワーイ」
「ウワーイ」
波は細かい砂を打ってその歓声に合わせるようさしては退き、退いてはさし、轟いている。陽子は嬉しいような、何かに誘われるような高揚した心持になって来た。彼女は男たちから少し離れたところへ行って、確り両方の脚を着物の裾で巻きつけた。
「ワーイ」
目を瞑《つぶ》り一息に砂丘の裾までころがった。気が遠くなるような気持であった。海が上の方に見えるどころか、誰だって自分の瞼の裏が太陽に透けてどんなに赤いかそれだけ見るのがやっとなのだ。が、こわいような、自分の身体がどこで止るか、止るまで分らず転がり落ちる夢中な感じは、何と痛快だろう! 転がれ!
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