物を読み知らなければならないと思うものが或時に於ては陥り易い欠陥であると思う。
読む本を数でこなして行く事は恐るべき事である。
そして、本を読めば必ず賢くされるものだと云う事も信じられる事ではない。
「後に来る者に」の中に、
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「或る所まで行った人が或る本を読むと天啓にふれた様な気のする時はある。
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と云う事があったがそれは真理である。
偉大な人の作品に触れて感激出来るのは、その著者が彼の手と頭を以て表わした様々の精神作用の根元にさかのぼり得る丈の頭がなければ出来難い事である。
自分達が「或る処まで行って居る人」にならなければならないのである。
けれ共自分自身に自分がどの位まで行きつつあるかと云う事を知らせるのは必要な事ではあるけれ共或る意味に於ては気味の悪い事でもある。
人間が自分の真価の片はじでものぞけば第一に得るものは非常な淋しさ、悲しさである。
自分を観てそれを感じ無いならまだ明かな眼の所有者ではない。
けれ共その悲しさ。
その淋しさが更に強い力で我々を生育させ確かな心で自分の進もうとする道をたどらせる様になる事は
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