民法と道義上の責任
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
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(例)[#地付き]〔一九四八年十一月〕
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民法が改正されて、妻の人格がみとめられるようになった。
ふるい民法では、婦人が結婚して妻となると、無能力者になり、経済上の権利、親権その他で無能力とされていた。新しい民法は、婦人の権利の抹殺をとりけしたものであり、財産にたいして妻は夫と似た発言権をもつことになった。
権利があるということは、義務があるということである。夫が不当財産を蓄積して、一家の経済が向上した場合、妻はそれをわけてもらう権利をもつようになったが、同時にこのことは、不当財産をたくわえたという夫婦の共同責任が存在することをも意味する。
わたしは何も知らないで――といういいわけは、ふるい民法時代にこそ事実であったが、今日では適用しない。夫がどんな不正な富を蓄積しようとわけてもらう権利が妻にあると、それで問題を終りとするなら、その人は妻というより妾的な存在であり、売笑婦的な存在である。
なぜなら、妻は結婚生活において、夫の道義的生活にたい
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