何にも工合よさそうだからね」
 彼は立って、あわただしく身仕度を始めた。
「しかし、もう駄目かもしれないね」
 我々は、一度目の経験で、斯様に、一寸でも目ぼしいと思うような貸家の広告は、如何程迅速に人々の注意を牽き、又交渉されるかを覚えて居た。
 朝八時頃新聞を見、本郷から下谷の其処まで行くうちに、もう十幾人目かの人と、すっかり話が纏って仕舞った等と云うことさえ在ったのである。
 ネクタイを結ぶ彼の傍に立ち、自分は、見てもしよいと思ったら、私に構わず定めておしまいなさい、とすすめた。ぐずぐずして居るうちに、さっさとひとが定めて仕舞うかもしれない。
 始めて家を持とうと云う時には、貸家と云うものが如何那ものかも知らず、いつも完全に近い理想を持ち出しては、不満を申し立てた。けれども、暫く、強いても、此那家に住んで見ると、住居と云うものが、住人の趣味やケーアによって、如何那に変化するものか、又、一寸見はたまらないような場所でも、大体辛棒が出来れば、決して落胆せずに手を入れられると云うこと等が判って来たのである。
 嘗ては、住心地のよいとか、カムフォタブルであると云うことは、もうちゃんとそう出来た家に於てでなければ、持ち得ないことのように思って居たのである。自分達が主であると頭では分って居るのだが、いざ家でも定めるとなると、家そのもののよさ、わるさが、却って、自分達を圧するような傾向があったのである。
 台所は遣って呉れる人があると云う安心も、大きにあずかって力あることだろう。
 瓦斯があり、風呂場がなくても建てる場所さえあって四辺が静かなら、外に希望はなく思ったのである。
 今の家はひどい。表通りを荷物自動車が通ると、地震のように家中が揺れる。而も、埋めたての崖の上に建って居る家だから、時に、いやな想像に脅かされることさえある。――
 二時間も立たないうち、出かけたAは、いそいで戻って来た。自分にも一緒に見に行くようにと云うので、二人で、青山に出かけた。一丁目の停留場で降り、本郷から来ると右側の、石勝と云う石屋の横を入って、突当りから左に小一町行った処にあると云うのである。天気のよい日で、明るい往来に、実に尨大な石の布袋が空虚な大口をあけて立って居る傍から入ると、何処か、屋敷の塀に一方を遮られ、一方には小体な家々の並んだ細道は霜どけで、下駄が埋る有様である。
 暫く行くと
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