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宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)篆刻《てんこく》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九四一年十月〕
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 この間うちから引越しさわぎで、あっちの古本の山、こっちの古本のかたまりといじりまわしているうちに、一冊、黒い背布に模造紙の表紙をつけた『女学雑誌』の合本が出て来た。かたい表紙をあけてみると、教育という見出しで遺伝についての記事、胎教についての項目、フレーベル氏及幼稚園というような記事の頁が克明に書きこまれている。
 インクで書かれたそれらの字は歳月を経てもう今日ではぼんやりとした茶色に変っている。明治二十五年六月から二十六年三月号までが一冊にされているのだけれど、その頃は極めて新しく清潔なモラルの源であったこの雑誌を、こんな丁寧に扱って真面目に読んだのは、誰だったのだろう。
 表紙裏の字は、どこやら父の字のように思われる。
 やはり、今度ごたごたを片づけている間に四五冊のノートが出て来たが、昔の人は何と字がうまかったのだろうかとびっくりした。それは化学のノートで、おそらく高校時代の父が筆記したのだろうと思える。試験管を焔の上で熱する図などが活々としたフリーハンドで插入されていて、計らずも今日秋日のさす埃だらけの廊下の隅でそれを開いて眺めている娘の目には、却ってその絵の描かれている線の生気に充ちた特徴の方が、文字よりも親しく晩年の父の姿や動きを髣髴させる。内容としての化学は、かなり初歩が筆記されているらしいのに、それを書いている字ばかりはいやに大人らしく立派で、そこにもまざまざと明治二十年代の青年の生活がうかがわれる。
 父は詩をつくることと篆刻《てんこく》が少年時代の趣味だったそうで、楠の小引出しにいろいろと彫った臘石があったのを私も憶えている。その少年が十六のとき初めて英語の本を見て、なかの絵が出て来る迄、さかさに見ていたのが分らなかったということも聞いている。
 明治二十五年の『女学雑誌』と云えば、元年生れであった父は、二十五歳の青年になっていたわけである。進歩的な気質の青年らしく、父は『女学雑誌』などをも読んでいたのだろうか。二人の妹があったから、その妹たちに、その雑誌のことを話したり、読ませたりもしただろうか。もし若い父が読んだのなら、表紙裏の抜き書きは、私
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