中に生かそうとしている。――ブルジョア婦人雑誌が一見実に陳腐でありながらしかも永年の間婦人大衆をとらえつづけている種々な編輯上の技術、目のつけどころというようなものまで『働く婦人』は、それを奪って逆用すべき敵の武器として研究しようとする積極性を示しているのである。
 然し『働く婦人』創刊号「発刊の辞」に書かれているブルジョア婦人雑誌に対する態度は、プロレタリア文化の尖鋭な伝播者・組織者としてのわれわれの刊行物と、ブルジョア文化攻勢の具体化としての婦人雑誌との相互的関係を、十分弁証法的に、レーニン主義的に把握しているとはいえぬ。「発刊の言葉」の中で、「ほんとの自分たちの日常生活の友となり、役に立つ知識と勇気と楽しみとを与えて呉れる婦人雑誌」としての『働く婦人』に対してさながら固定的な対立関係にあるもののようにブルジョア婦人雑誌というものの存在が示されている。同時にあるところではブルジョア婦人雑誌の記事は同じ減俸について書くにしても、減俸された世帯をどうやりくるかという末のことばかりを書くが、『働く婦人』では何故減俸が起ったかという根本のところまでを示すものだと、まるでブルジョア婦人雑誌とプロレタリア婦人雑誌とは同一の線上に立ちながらただ程度の差によってその性質が分れるものであるかのような認識の曖昧さが示されている。これらの点は徹底的に明瞭にされなければならない。ブルジョア婦人雑誌との存在のちがい、およびその内容に現れる両者の相違は決して同一種類のものの上に生じる程度の差の問題ではなく、資本主義日本内に対立する二つの階級の、実に明々白々な世界観の相異を基礎として、必然に生じる文化戦線の対立であること。従って、プロレタリア雑誌の影響力によって婦人大衆の間に拡大される前哨戦とブルジョア婦人雑誌の独占地域との関係は、あらゆる瞬間において固定したものではなく、階級的攻勢としてのプロレタリア刊行物の一歩の前進は直ちにブルジョア反動文化への一歩の決定的打撃を意味するものとして、理解されなければならないのである。特に資本主義の国内的国際的行き詰りの切き[#「き」はママ]抜け策として、資本家地主の支配階級がファッショ化し、反動組織を総動員して帝国主義侵略戦争、ソヴェト同盟への侵撃準備を鼓舞し、国内における革命力の暴圧に全力をつくしている今ほど、ブルジョア婦人雑誌のおわされている反動的役
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