るヨーロッパ諸国のファシズムへの移行などをも描こうとしている。そのような歴史の事情が女主人公の精神と肉体を通してどのように階級的人間を形成してゆくかを描こうとされている。
「暦」によって、働いて生きる人々の清潔で勤勉な人生の語りてとしてあらわれた壺井栄が「暦」の続篇としての性格をもっている「渋谷道玄坂」をかき、その系列として「妻の座」を生んだことには、軽く通りすぎてしまうことのできない意味がみとめられる。
「妻の座」は、題材の困難さも著しい。作者自身としては題材のむずかしさ、苦しさに力の限りとっくんでゆく努力に自覚をあつめているうちに、この作家がこれまでかいて来た平明で、まとまりよくおさめられた作に見られなかった苦渋をにじませた。常識と分別、ひとがらのかしこさがくつがえされて、むき出された人間関係のえぐさ[#「えぐさ」に傍点]は、「妻の座」の場合、作品の世界の中で関係しあっている人物たちが、我知らずその精神、生活態度のうちにもち運んで来ている小市民的な先入観、世俗性のもつれであった。「妻の座」は、この作家について論じるとき無視することのできない特殊な一作となった。
かつて『女人芸術』
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