タリア作家たちが組織を失い、分散させられ、その困難の中で稲子の「くれない」、中野重治「村の家」、宮本百合子「乳房」などが生まれたというばかりではなかった。小林秀雄の評論活動をはじめとして、プロレタリア文学運動に反撥することで、それぞれの派の存在を支えていた「純文学」の分野にも、はげしい混乱と沈滞をおこした。三木清によってシェストフの「不安の文学」が語られ、やがて「不安の文学」にあきたらない小松清、舟橋聖一などの人々がフランスの反ファシズム運動を変形させた「行動主義の文学」を提唱しはじめた。
だが、一方では和辻哲郎が学識を傾けて日本の特殊性を主張するために「風土」を書き、保田与重郎、亀井勝一郎らが日本浪漫派によって神話時代、奈良朝、藤原時代の日本古代文化と民族の精華とを誇示し、横光利一は小林秀雄とともに純粋小説論をとなえはじめていた。この純粋小説論は、限界をしめしている私小説から社会的な文学への展開といわれたが、本質は作品の世界に再現される社会的現実に対して、作家の人間的・社会的主体性をぬきさった創作の方法であった。作家の自我は敗走した。この理論は、時をへだててあらわれた私小説否定とし
前へ
次へ
全60ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング