学であったが封建性を脱げなかった常識的達人の鋳型を、やわらかい女の体と精神にしっかりと鋳りつけられた幸田文の文筆は、あまり特異である。文学にまで及んだ家長制について深く考えさせるものがある。
関村つる子、由起しげ子などの人々は、もう久しくつづけて来た文学の勉強の結果を、こんにち発表しはじめている。それほど久しい間婦人の、人間としての社会的発想は、抑えられつづけて来たのだ。抑えられているなかで、自分の文学の境地をまもりつづけて来た婦人たちの作品は、しかしながら、あまり現代の歴史のいきづきから遠くはなれて、それとしての完成を目ざして来たという印象を与える。由起しげ子のヒューマニズムは、自分で自分のヒューマニティーを劬りつづけて来た生活習慣から、早く強壮に巣立つ必要にせまられている。彼女の、「良識」と評せられる感受性は、現実の中でよごれずにはすまないこと、しかしそれはけがれ[#「けがれ」に傍点]ではないということを会得することが待たれる。関村つる子の真率さは、どのようにそのまゆ[#「まゆ」に傍点]をくいやぶるだろうか。きょうの文学史が二重うつしとなっていて、われわれの成長も二重の可能に立たされているわけがここにある。
由起しげ子、関村つる子、そのほか多くの婦人の作品のモティーヴは、ヨーロッパ文学の中では、ジョルジュ・サンドが婦人の人間性について訴えはじめてこのかた、第一次大戦までの資本主義社会の自由のなかで、婦人の文学によってかき出されて来たものであるともいえよう。けれども、われわれのところでは、一九五〇年のきょう、やっとこの人々の人間の声がきかれるようになった。モティーヴは、いくら世界史のうしろの頁からはじめられていても、それを展開してゆく生活と文学の可能は、前進している。はっきり民主的な立場に身をおいて書き出している婦人作家たちはもとより、由起しげ子の作品にしても、一九三九年代に女らしさ[#「女らしさ」に傍点]のよそおいに自分たちの文学を装った日本の婦人作家の悲しい身ぶりからは解放されている。広津桃子にしても、関村つる子にしても、人間としての女の自然な発声に立っている。
ささやかなように見えるこの前進は、重大な歴史の一歩である。なぜならば、婦人作家が、もう日本に独特な女心の人形ぶりをすることをやめたという事実は、それらの婦人作家にとっても、前進の道は人間の道、二
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