「煉瓦女工」から、戦争の時代を通って今日に歩いて来た道は多くのことを考えさせる。彼女は泥まびれになってころがり(「女の罰」)時には泣きながらも、萎縮しなかった率直な生活意欲を保ちつづけた。封建的な要素の多い人情にからまりながら次第にそれらが、日本の社会の歴史的なものであるという本質をつかみ始めて来ている。彼女よりもひと昔まえの一九二〇年代の後半にアナーキズムの渾沌の裡から生れ出た平林たい子が、「施療室にて」から今日までに移って来た足どり。「放浪記」の林芙美子がルンペン・プロレタリアート少女の境地から「晩菊」に到った歩みかた。はげしい歴史の波の一つの面は、平林たい子、林芙美子という婦人作家たちをそのような存在として押しあげた。歴史の波のもう一つの面は、社会の底までうちよせて小池富美子を成長の道におき、印刷工場のベンチの間から、「矢車草」「芽生え」の林米子のために新しい生活と文学の道を照し出した。
「雨靴」石井ふじ子、「乳房」小林ひさえ、「蕗のとう」「あらし」山代巴、「遺族」「別離の賦」「娘の恋」竹本員子、「流れ」宮原栄、「死なない蛸」「朝鮮ヤキ」譲原昌子。その社会的基盤のひろさ、多様さにふさわしく、これらの婦人たちは人民の文学としての発言の可能を示しはじめている。けれども、人民生活と文学との苛烈さは、「朝鮮ヤキ」のすぐれた作品を最後として譲原昌子を結核にたおした。新しく書きはじめている婦人たちの文学は、早船ちよをやや例外として、まだその大多数が、小規模の作品に着手しはじめたという段階である。題材と創作方法の点でも、人民生活としてのひろがりをふくみつつ自身の生活によって確められている地点から語りはじめているのが特徴である。
 小説というものが、人間、女――人民の女としてこの人生に抱いている意志と情感を語るものとなって来ていることは、この四五年の日本の社会の、すべての矛盾、欺瞞をしのぐ人民の収穫として評価されなければならない。
「海辺の歌」の松田美紀。一九四九年度に作品を示した戸田房子「波のなか」、畔柳二美「夫婦とは」、『四国文学』に「海軍病院の窓」をかいた正木喜代子。広津桃子「窓」、関村つる子「別離」。環境的な重荷をもって出発してる由起しげ子(「本の話」「警視総監の笑い」「厄介な女」その他)、波瀾のうちに、どのような発展をすすめて行くだろう。
 幸田露伴という文人の、博
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