を証明した婦人作家たちは、たちまち軍情報局に動員されて、侵略軍のおもむいている、すべての地域に挙国一致精神のデモンストレーターとして利用されなければならないはめに立ったのであった。
 婦人作家たちの上にもたらされたこの無慙なさかおとし[#「さかおとし」に傍点]の事情は、ひきつづき一九四一年十二月太平洋戦争にひき入れられたのちの五年間を通じる波瀾と社会変動を通じて、少くない数の婦人作家を生活的に文学的に消耗させてしまうこととなった。
 一九三九年代に、婦人作家の活動が目立ったということにはいくつかの重りあった理由があった。第一は用心ぶかくプロレタリア文学運動の荒い波をよけて、いわゆる「純文学」にたてこもってきた婦人作家の大部分が、この時期に、それぞれ一定の文学的完成をしめすようになったということである。第二の理由として考えられるのは、当時の国民精神総動員の圧力によって作者の人間的・社会的良心をぬきにした題材主義の長篇がはびこっていたのに対して辛うじて婦人作家の文学が文学のかおりを保っていると思われたことである。生産文学、農民文学、戦線を背景としてかかれた小説のどれもが、主題は軍の統制配給品であった。婦人作家の作品は男の作家よりも社会的関心がうすいために、かえって作品の中に文学の純粋さ[#「純粋さ」に傍点]を保っているという角度から注目をされたのであった。
 川端康成が次のように語ったことは暗い予告の意味をもった。「女そのものが装いなしには存在しないように女の作家は自分の筆で装った女を私たちにみせるのだ。女流作家の芸術とは、そういう装いになり、それを装いであるが故に嘘だとするのは、私たちの短見なのだ。」そしてそのような装いをもって一種の「絵の中の女」となっている婦人作家の女たちが、「そのためにかえっていとおしくなるのを深く感じた。そしてそのことはそれでいいことなのだろう。」と。婦人作家のそのように装われた[#「装われた」に傍点]文学がジャーナリズムの上に一定の宣伝効果をもっているということ、しかも社会的現実に対する批判の能力は男の作家よりも弱いという事実について認識を与えられた軍情報部は、たちまち、そのような婦人の文筆を利用した。すべての婦人雑誌が婦人の戦争協力のために動員されていた当時、男に対してさえも男が書いたものとはちがったアッピールをもっている婦人作家を、報道活
前へ 次へ
全30ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング