の男尊と、われ知らずの専制の習慣は、彼らの日常になれた女のしつけ[#「しつけ」に傍点]やものいいを野蛮にけちらして、彼女たちが生れて育って来たそれぞれの地方のなまりがひびく声々で、婦人解放を叫び行動する『青鞜』の女性たちに、へきえきしたであろうことは今日ユーモアをもって想像するにかたくない。
「元始、女性は太陽であった」といったらいてうの落日のはやさや、晶子の情熱の燠《おき》の姿に身をもってあらがうように、田村俊子の作品がうちだされた。露英という号をもって露伴に師事していた田村俊子は、やがて露伴の文学的垣をやぶって一九〇九年大阪毎日新聞の懸賞に「あきらめ」という長篇で当選した。三年のちに発表された短篇「魔」「誓言」「女作者」「木乃伊の口紅」「炮烙の刑」などは『青鞜』によった人々が、それぞれ断片的な表現で主張していた女の自我を、愛欲の面で奔放に描き出した作品であった。次第に生活の力も創作の力も失ってきた夫、田村松魚との生活のもつれのなかで、「あきらめ」がかかれた。はじめは松魚のはげましやおどしによって書いた俊子は、この仕事ののち、「自分の力を自力でみつけて動き出した。」一作毎に俊子の文学的な地位と経済の独立が確立した。そして彼女は自分を支配するものは自分自身以外にはないという自覚にたつと同時に、その生活と文学との官能の場面でも男の支配から脱しようとする女の自我を描き出した。
田村俊子の色彩の濃い、熱度の高い男女の世界は、女の自我をテーマとして貫いている点では、当時流行のダヌンチオの小説にも似た強烈さがあった。けれどもその一面には、彼女が浅草の札差の家に生い立ったという特別な雰囲気から、江戸末期の人情本めいた情痴と頽廃とがつきまとった。自分が愛したい者を愛することは「私の意志」であり、それは決して悪いことをしているのではない。愛のさめた良人が強制する良人の権利に屈従して謝るよりは、愛する男を愛し通して「炮烙の刑」をうけようというはげしい女の情熱をもえたたせた。
『みだれ髪』の境地からすすんで、愛における女の自我の主張にすすんだことは、俊子の文学の近代的な要素とみることができる。しかしこまかに彼女の作品の世界に入ってみたとき、彼女が男を愛する[#「愛する」に傍点]といっている感情の内容や、それは私の意志[#「それは私の意志」に傍点]だといっている言葉の実体が、意外にもお
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