婦人作家は何故道徳家か? そして何故男の美が描けぬか?
宮本百合子

−−
【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)最も有名な[#「最も有名な」に傍点]代表者アクセリロードは、
−−

     父を殺している

     ○
 作者は巧妙な(しかし)極めて平俗な理由で息子の父を母の生活から切りはなし、父と母との矛盾をこの作において避けている。母は息子との間に矛盾を感じるばかりでなく、現代にあっては多く父との間にも矛盾を感じている例が、特に中流インテリゲンツィアの中に多い。
 父は社会的に支配階級の或る構成要素としての地位をしめ、母は息子との父よりひんぱんな日常的接触と、若い息子(若い男)への愛にひかされ急進化し、父は反動化し、矛盾はその思想問題が日本の家庭内の封建性によって、結局母により深い秘密を持たしめるに到っている。作者の実生活は、この問題に全然無関係であろうか。否。否。逆であろう。だから作者がふれなかった。この賢さが、実質においては現代ブルジョア・インテリゲンツィアの婦人が進歩的な外見にかかわらず、内実強力に抑圧をうけている封建性そのものへの屈伏であることを、作者はそれを正面からとりあげなかったことによって明瞭にせず、同時にこの屈従は宿命的なものではなくて、プロレタリア解放運動達成によって達せられるものであることをも明らかになし得ない。
 云わずしてすぎる。見ずしてすぎるという高踏派的態度は実は「無力」の粉飾なのである。

 プレハーノフの女弟子、ソヴェト同盟のマルクス主義機械論的修正派の最も有名な[#「最も有名な」に傍点]代表者アクセリロードは、「トルストイの創作を批評するのにもスピノザの哲学を分析する際にも、彼女は永久不変の道徳法から出発している。彼女は、新カント派と多くの論戦を交えたが、弁証法を軽視し、その思惟が機械的だったことは、結局道徳律の問題において彼女を敵の陣営――彼女が一生涯それらと闘ったその敵の陣営に導いた。」
 大体思索し得る女流の間に道徳家[#「道徳家」に傍点]が多いのは何故であろうか。これこそブルジョア文化の内的矛盾のバクロ以外の何ものでもない。
 ブルジョア文化は、その階級的特性によって、文学哲学の如く高度に発展した形態にあってはごく僅かのブルジョア・インテリゲンツィア婦人し
次へ
全3ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング