定されたのだった。
 日本でも戦後ふたたび婦人デーが行われるようになったけれども、それについて、わたしたちは奇妙な経験をしている。一九四六年の婦人デーは、世界のどこの国とも同じ三月八日にすらりと行われたけれども、もう次の年になると、日本の婦人デー[#「日本の婦人デー」に傍点]は、三月八日にするのはおかしい。三月八日の婦人デーは共産主義の考えかたから出発しているものであるから四月十日、日本の婦人が参政権を得た日を記念して、日本の婦人デーとするべきであるという声をおこした。なぜ、声をおこした、という云いかたをするのが正しいかと云えば、それは、日本の働く婦人大衆の間から自然にうまれた声ではなくて、日本の労働者階級のすべての問題、人民の真の民主化にかかわりをもつあらゆる問題を、なるたけ国際的に前進している行進の例からひきはなして、日本として[#「日本として」に傍点]、独自に[#「独自に」に傍点]、支配し、おくれている状態をかえって権力のために有利な条件として行こうとする政策から出発したことであったからである。
 日本の[#「日本の」に傍点]婦人デーを三月八日から四月十日にきめようとして新聞の世論調査を動員し、旧式な反民主的な婦人運動者たちまでを動員した政府は、世界平和大会やアジア婦人大会への代表の旅券は与えないで、おかいどり[#「おかいどり」に傍点]を着た田中絹代のために許可を与えたり、陸上競技の宮下美代子の国際オリンピック出場までと、人民の国際的協力の焦点をそらしている。

 アジアの平和は、とりもなおさず、世界平和の問題であることは、中華人民共和国の宣言で云われているとおりである。そのアジアにおける日本人民の立場は、重大な人類的責任にたたされている。日本の婦人は、祖国と自分たちの日々をこれ以上の破滅から救うために、平和を守ろうと努力しているアジア、ヨーロッパ、アメリカのすべての婦人たちと団結し、具体的に働きだしてゆかなければならない。
 日本のわたしたちは、全面講和によって世界の全面に対して平和日本の人民であろうとしている誠意を表現し、それを貫徹してゆかなければならない。戦時中日本の政府は、侵略主義の本質を、見ための珍しい美しさや異国情緒でカムフラージュしようとして日本独特[#「日本独特」に傍点]の風俗、行事のグラフを盛に輸出した。アジアにおけるきょうの日本の、まじめな
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