婦人デーとひな祭
宮本百合子
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)東区《イースト・サイド》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)社会[#「社会」に傍点]という字がついていると
−−
婦人デーといえば、三月八日と誰でも知っていることではあるが、そのおこりは、どういうところからはじまったのだろう。
婦人デーのきっかけとなった事件は、一九〇四年三月八日ニューヨーク市の東区《イースト・サイド》の社会主義婦人同盟の人たちが、婦人参政権を要求して立ったことだった。資本主義の国々では、ニューヨークでも、ロンドンでも、イースト・サイドといえば、西区《ウエスト・サイド》の上流区域とはちがって労働者、外国移民、猶太《ユダヤ》人などの住む、より貧しいより生活の苦しい区画とされている。東京で麹町と江東地区との生活にちがいがあるとおりである。
一九一〇年といえば、日本の明治四十三年、いわゆる「大逆事件」で幸徳秋水以下三十余名の人々が検挙され、ファーブルの『昆虫の社会』という本まで社会[#「社会」に傍点]という字がついていると云って発禁されるような、日本の社会主義弾圧のもとに暴力的な日韓合併が行われた年であった。この一九一〇年にコペンハーゲンで第二インターナショナルの大会がひらかれた。ドイツ代表としてそこに出席していたクララ・ツェトキンの提案で、三月八日という日を国際婦人デーとすることに決議された。二十三ヵ国から八百九十名の代表が出席したこの大会できめられた国際婦人デーは、その後多くの国々で毎年行われて来た。一九一七年の三月八日には、そのころペトログラードとよばれていたいまのレーニングラードの婦人紡績労働者たちが「パンを与えよ。戦地から夫をかえせ」とデモを行って、ロシアのプロレタリア革命への口火となった二月の革命ののろし[#「のろし」に傍点]をあげた。
第二次大戦ののちは一九四五年十一月、国際民主婦人連盟が各国の婦人デーの意義をうけついで、世界平和の確保と民族の自立、婦人・子供の生活を守ってファシズムと戦争挑発とたたかう仕事をはじめている。
この国際民主婦人連盟には、四十九ヵ国八千万人以上の婦人たちが参加していて、すでに二回国際大会をもっている。一九四九年十二月に北京でひらかれたアジア婦人会議は、国際民主婦人連盟第二回大会で決
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング