婦人の文化的な創造力
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)芸術神《ミューズ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)ソーニャ・コ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レフスカヤ
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私たちの毎日の生活の間では、文化という言葉と文明という言葉とがある時には同じ内容をもつ表現のようにつかわれている場合があり、そうかと思うと文化文明と二つの文字を重ねてその間におのずから異った意味がふくまれているものとして使われている場合がある。
文化と文明とは社会生活の現実の中で必ずしも同じものでないのが本来ではなかろうか。文明というと、たとえば十六世紀の日本の文明に二十世紀日本の文明を対比しているように、非常に大づかみにある時代なり社会なりの到達した人智開発の水準を概括して呼べると思う。その場合には、客観的にその社会がある水準に達している文明の恩恵に直接浴していない一群の人々がその社会の内にあることや、その文明のつくられた意味、価値をまるで知らずあるいは知ろうとせず単に生活上の便宜として日常へその成果をとり入れているだけの人々がその社会の大部分をしめているとしても、やはりその社会の文明の程度をいうことはできる。アメリカの文明の程度というとき、ニューヨークの郊外にトタン屑をふき合わせた小舎がけで辛くも生存している失業者たちの生活にテレヴィジョンが入っていないから、という点ではいわれないのである。
けれども、文化というと、それぞれの文明の諸相が、その社会の各個人たちの精神や感覚にどう作用し、どのようにとり入れられ、それらの総和がどんな本質でその社会へ再び発展的なものとして放射されているかという点にふれてくると思う。それ故文化という面からいえば、前の例をとってアメリカの人たちがそういうトタン屑をふいた小舎で生活しているような人間群を自身の文明社会の内にもっているという事実について、どんな感じをもち、どんな方向でその悲惨を根絶させようとしているか、あるいは平気で自身の満腹に納っているかというような相異が、文化の本質の相異として現れてくる。
文明と文化との相互的な関係は実に骨肉的であるし、おどろくべく複雑だと思う。婦人の生活、婦人の文化的な創造力の消長というようなものも、基本はここに根ざして、深刻多面な姿を示している。
過去の長い人類文化の歴史のなかで、婦人の創造力が発揮された面というと、それにつれては芸術的な領野が思い浮べられ、特に音楽、文学、演劇の上に示された業績が考えられる。音楽といっても第一位が声楽家たちであり、楽器の演奏家たちがそれにつづいているのであって、ヨーロッパの音楽史はあれほど幾多の卓抜なプリマドンナの名を記しながら、婦人の作曲家というものはほとんど一人もその頁のなかに止めていない。婦人指揮者というものは、やっとこの頃その初歩的な歩みを公衆の前に現したばかりである。婦人の才能が、一番歴史的に発揮されている音楽の領分においてさえ、その芸術貢献の道が、主として自然発生の女性という性の声楽の美と、その美にふさわしい一箇の喉笛にかかっているというのは、文化の問題として何を語っていることであろうか。
文学の分野では、日本古典の中にも何人かの婦人たちのかがやかしい足跡がある。詩歌と小説随筆とが、彼女たちの活躍の領域であって、文学評論の古典で、婦人の手になったというものはのこされていない。この点も今日の私たち女にはいろいろと考えさせる何ものかを含んでいると思われる。
演劇にしろ、彼女たちが光彩を放ったのは常に演技者としてであり劇作家としてではなかった。すでに創られているものをその感受性と表現の力によって再現してゆく、そこに新しい命を与えてゆくことにほとんど限られていた。これはどういうわけであったのだろう。
笑い話として、男のひとたちは、文化の創造に際して婦人の特色のように見える以上のような現象の説明に、それは芸術神《ミューズ》たちは女だから男を御贔屓さというけれども、そもそも芸術神を三人とも女性で象徴したことのうちには、神をもわが手でこしらえた男の社会上の優位や、女というものを自分の芸術的欲望の一つの刺戟、鼓舞のための存在としての範囲で見ることにおさまっていた男としての趣好が暗示されているのではなかろうか。
数学のソーニャ・コ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レフスカヤ、物理のキュリー夫人、経済のローザ・ルクセンブルクなどは科学の世界へ踏み出した稀有な婦人の天稟の典型であるが、婦人の思想家としてのエレン・ケイなどは、今日の歴史の鏡に映るものとして眺めた場合、現実の客観的なつきつめの強さ確
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