前進しなかったもの、つまり飾りが殖えたもの、そういうものが多かった。そういう時代に、たとえば極く新しい人として、作家にならない時代の豊田正子さんとか、野沢富美子さんとかいう人が出ました。野沢さんも、豊田さんも才能のある人で、生活にしっかりくっついたいい素質を持っている人です。それをどういう風にジャーナリズムの関係では利用されたか、豊田さんは「綴方教室」で有名になったけれども、本当にあの人を立派な作家として育てて行くために何をしたでしょう。中央公論社は小説を出して儲けて社会的の一つの機会を与えただけで後はそのままです。野沢富美子さんの「煉瓦女工」はこの頃になって映画にもなっているけれども、第一公論社は野沢さんを食ったような所があります。そういう風にして、立派な才能、或はよくなる才能でも、商売と結びついた文学の中では非常に純粋に立派に伸ばすという真面目な気持をもって扱われにくい。商売の本性はそういうものです。
 それがもっと悲惨なことになったのは、婦人の文学ばかりではありませんけれども、戦争が始まって以後、最近の終戦までの間の文学です。この間の日本の文学の在り方はどうであったか。作家が腰抜
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