たくさん書くようになりました。ところが、そういうときに女の人の作品に対する男の作家の評価と申しますか、文学の中の婦人の文学をどう評価したかという問題になると、そこにはやはり一つの問題があって、婦人作家は作品の中に女らしいものを要求された。女らしいということは、女ですからどんなに男の中へ入っても女は女です。つまり防空演習のときに梯子に登っても、爆弾が落ちたとき何を被って逃げたとて女は女である。別にそんなに女々といわなくとも自然に女は女の可愛いところがある筈です。文学評価の中にへんに女っぽいことを持込む必要はないのです。女らしい女心、女の心ですから女心になりますけれども、同じことをいっても女の声は自然にソプラノになるのだから。女はまた女の持っている特殊な社会状態があるから男の知らない状態もたくさんあるわけです。それを正面から女らしさという問題で片づけるのでなくて、女がどんなに人間であるか、男と同じように、この世に幸福を求めて幸せになって一生の値打を発揮して安心して働いて生きて行きたいという、男と共通の人間らしい心を先ず認めて欲しい。別に意識的にソプラノを歌うのでなく、人間の声を出せば女は自
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