いろいろな好奇心もあったかも知れないし、久し振りだからこんな話も聴いていいという気持があったかも知れませんけれども、いちばん根本は何か、やはり話している人達と同じように生きている値打、生きている喜び、悩みをはっきり自分で知りたいという気持だと思います。自分の心にあるものを私どもは話す、受けて応えるこだまこだまの美しさ、そういうものを求めて来ていらっしゃると想像します。
 あなた方一人一人は英雄ではないでしょう。私どもが一葉より文学に於て才能が劣っているかも知れない。しかし歴史は新しい、皆さんの素質は新しい。あなた方はとくに英雄ではないでしょう。或は貧乏な人もありましょう。自分の手紙を書くのも億劫《おっくう》な人かも知れない。どんなにマルクスが偉くてもマルクスの生きていた時代ではありません。どんなに小さくても、私どもはその「資本論」を読んで自分たちの生活を改善して行くことができる、そういう条件下におかれている小さい一人一人です。けれども小さい一人一人の持っている新しさ、美しさ、真実さ、闘って行く力、自分の生活を築いて行く力、それがこれからの文学です。新日本文学、新日本文学会と皆新がついています。この頃新の字が何にでもよくついている。しかし、百万の新ができたとて驚かない。何故ならば本当に新しいものになろうとすれば皆新の字がつくべきです。あなた方自身も自分の新しい今日、明日の新しい日本を創り出すために熱心に生きていらっしゃる。お互いつくって行く文学は実際的な内容です。ですから文学が一つの画に描いた餅のように腹のたしにならないようなものにはならない。腹の空いたとき腹がなぜ空くかということがわかる、この腹の空いた嫌な気分を何処に持って行くかということがわかれば腹が空いたのも忘れて笑う。こういう生き方もまたわかる。そういうようなものが私どもの文学です。そういう意味では、男の作家も女の作家も表面上区別はありません。先程申上げたぐにゃぐにゃした女心など一つも必要としません。女は女として生れているから、お婆さんになっても女の可愛らしさ、女の美しさがる。男はお爺さんになっても男の雄々しさ立派さというものがある。そういう風な素直なあるがままの人間として、熱心に真面目に生きて行く人間としての文学、そういう情熱の溢れるものとしての文学、お互いがお互いの言葉として話せる文学、そういうものを求めているわけです。ただ文学は一つの技術が要りますから、いきなり誰でもここにいらっしゃる方みんなが小説を書くことはできません。しかし、文学というものは師匠がなくても済む、これは一つの面白い特徴だと思います。皆さんどんな人でも一生のうちに手紙を書かない人はないでしょう。十五、六歳に誰しも日記を書き始めたくなって書きます。一生続ける人もあるし、途中で止めてしまう人もあるけれど。況《ま》してこの戦争では夫を或は子供を戦線に送った人々は皆手紙を書いています。あれは一つの文学的な歩みからいうと日本人というものがものを書くということについての大きな訓練だったと見ることができます。人間の心の話としての文学の端緒はそこにある。だから文学は師匠が要らない。ところが音楽になると、声を出すこと、譜を読むこと、指を大変早くピアノの上を滑らす技術、そういうものがたくさんの分量を占めていて、どうしても先生がなくてはならないから、金持に独占されます。しかし文学は先生なしに、手紙を書き、日記を書き、恋文を書くことの中に心の声が歌い出すから、私どもにとっては、文学は生活に織込まれた芸術です。この文学の勉強のためには学校なんかいくらあっても役に立ちません。大学を卒業したからといって小説が書けるものではない。小説や歌をつくることは生活と心を結びつけて表現して行くのであって、個人の持っている天性の力もあるけれども、社会が十分にそれを認めて、どんなへんないい方でも、そのいい方の中にはその人の生活があり、私どものその時の生活が反映されているものとしてすくい上げて行く力、それがあれば、いたわられて社会の中に私共は伸びることができるのです。今までのように何を言ってもいけない、何を書いてもいけない、お前たちは黙って死んで行け、さもなければ牢屋へ放り込むというのでは自分たちの声を発揮することはできません。これから新日本文学会なんかで計画しているいろいろな文学の集り、たとえばこういう集りもございますけれども、また小規模な書いたものを持ち合って研究する集りもできます。雑誌も作るし、いろいろな程度の高い文学的作品もできていいし、ごく初歩的な手刷りのもの、原稿紙を綴り合せてお互いに見て廻るという初歩的なものでもいいから表現して書いて現わす。電車の中でいろいろな出来事を見た場合、それを一つ日記に書くのでも、書くとなればもう一ぺん考
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