うものに手を入れて掬い上げたものが文学である、憤慨、笑い、いろいろな感情がある、それが文学だということを周囲の人達にもだんだん拡げていただけば、新しい日本のためにも生活そのものの向上となり、生活の向上ということから起る文学の向上、そういうことになると思います。
 時間がないので尻切れとんぼになりますけれども、私の話としてはそれだけにしますが、今日窪川鶴次郎さんが来て、小林多喜二の話を申上げる予定でしたが病気で来られなくなりました。二月という月は私どもにとって忘れられない月です。小林多喜二という小説家は二月二十日に築地の警察で殴り殺されてしまいました。それですから今日私どもはこういう催をしても小林多喜二を忘れていません。小林多喜二があれだけの作品を書きまして、お読みになっていらっしゃる方が多いと思いますけれども、殺されたその時に、日本のたくさんの文学者はどういう風に申したか、小林多喜二は若し政治活動しなければ――つまり共産党なんかに関係しなければ殺されることはなかったし、自分の才能を全うして最後まで小説を書いておられた、あれを殺したのは共産党だという風にいいました。小林多喜二という立派な世界に誇るべき文学的才能を持った男を殺したのは日本の共産党の間違った文化に対する態度だと。ところがそういうことをいったいろいろな批評家たちは今日も生きております。そうして恐ろしい戦争の時代を通過して、小林多喜二が生きて闘ったものはどれほど残酷なものであり、どういう意味において小林がそれと闘われたものであるか、「蟹工船」なんかのようにどういう風にして労働する人の生活が武力によって監視されているかということを書いてある、それを何と思って読んだでしょう。それから去年の十月に治安維持法が撤廃され、みなさんもラジオなどで、今までの警察力、日本の恐ろしい野蛮な警察力がどんなに私ども人民の中から優秀な人を殺したかということをお聴きになったでしょう。十何年前小林多喜二を殺したのは日本の共産党だ、小林多喜二は死ななくてもよかったといった人々は何と思って治安維持法の撤廃を聴き、拷問の話を聴いたでしょう。あの人達はあの時になって初めて小林多喜二を殺したのは天皇制による野蛮な警察だということがありありわかった。若し正直な人達であれば慙愧《ざんき》に堪えないでしょう。ああいう風にして立派な人を死なせたその力はわ
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