ているわけです。ただ文学は一つの技術が要りますから、いきなり誰でもここにいらっしゃる方みんなが小説を書くことはできません。しかし、文学というものは師匠がなくても済む、これは一つの面白い特徴だと思います。皆さんどんな人でも一生のうちに手紙を書かない人はないでしょう。十五、六歳に誰しも日記を書き始めたくなって書きます。一生続ける人もあるし、途中で止めてしまう人もあるけれど。況《ま》してこの戦争では夫を或は子供を戦線に送った人々は皆手紙を書いています。あれは一つの文学的な歩みからいうと日本人というものがものを書くということについての大きな訓練だったと見ることができます。人間の心の話としての文学の端緒はそこにある。だから文学は師匠が要らない。ところが音楽になると、声を出すこと、譜を読むこと、指を大変早くピアノの上を滑らす技術、そういうものがたくさんの分量を占めていて、どうしても先生がなくてはならないから、金持に独占されます。しかし文学は先生なしに、手紙を書き、日記を書き、恋文を書くことの中に心の声が歌い出すから、私どもにとっては、文学は生活に織込まれた芸術です。この文学の勉強のためには学校なんかいくらあっても役に立ちません。大学を卒業したからといって小説が書けるものではない。小説や歌をつくることは生活と心を結びつけて表現して行くのであって、個人の持っている天性の力もあるけれども、社会が十分にそれを認めて、どんなへんないい方でも、そのいい方の中にはその人の生活があり、私どものその時の生活が反映されているものとしてすくい上げて行く力、それがあれば、いたわられて社会の中に私共は伸びることができるのです。今までのように何を言ってもいけない、何を書いてもいけない、お前たちは黙って死んで行け、さもなければ牢屋へ放り込むというのでは自分たちの声を発揮することはできません。これから新日本文学会なんかで計画しているいろいろな文学の集り、たとえばこういう集りもございますけれども、また小規模な書いたものを持ち合って研究する集りもできます。雑誌も作るし、いろいろな程度の高い文学的作品もできていいし、ごく初歩的な手刷りのもの、原稿紙を綴り合せてお互いに見て廻るという初歩的なものでもいいから表現して書いて現わす。電車の中でいろいろな出来事を見た場合、それを一つ日記に書くのでも、書くとなればもう一ぺん考
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