然にソプラノとして出て来る。そのように文学は生活の声であり、心の声、思いの歌である。女が歌えばソプラノにもアルトにもなるけれども、それは女の芸当ではない、もっと真面目なものです。ですから、或る時代に婦人作家が大変に擡頭した場合にも、真面目な婦人作家は苦しみました。それは妙な女っぽさを要求されたからです。ざっくばらんにいえば、婦人で画を描く人、婦人で小説を書く人は、なんだか普通の女の人と服装《なり》から、見たところから違う、なんとなく一風変った風になってしまいます。それは生活が普通の女の人よりもう少し自由であり自分というものを主張しているのですから、服装にもすべてにも現れるということはありますけれども、或る意味ではそれを自分から誇張するような立場に入る。そのために、女の人の文学がそれほど数が殖えた時代でさえも、女の人が真面目な婦人の社会的な問題について闘う態度、喧嘩腰ではないにしろ、真面目にその人がそれを求めているということが強く強く主張されるように理解されるように心を打つ文学、そういう風なものが少く、縫取りしたもの、やはり女細工で色どりがきれいでしなやかな、あってもなくても日本の文学が前進しなかったもの、つまり飾りが殖えたもの、そういうものが多かった。そういう時代に、たとえば極く新しい人として、作家にならない時代の豊田正子さんとか、野沢富美子さんとかいう人が出ました。野沢さんも、豊田さんも才能のある人で、生活にしっかりくっついたいい素質を持っている人です。それをどういう風にジャーナリズムの関係では利用されたか、豊田さんは「綴方教室」で有名になったけれども、本当にあの人を立派な作家として育てて行くために何をしたでしょう。中央公論社は小説を出して儲けて社会的の一つの機会を与えただけで後はそのままです。野沢富美子さんの「煉瓦女工」はこの頃になって映画にもなっているけれども、第一公論社は野沢さんを食ったような所があります。そういう風にして、立派な才能、或はよくなる才能でも、商売と結びついた文学の中では非常に純粋に立派に伸ばすという真面目な気持をもって扱われにくい。商売の本性はそういうものです。
それがもっと悲惨なことになったのは、婦人の文学ばかりではありませんけれども、戦争が始まって以後、最近の終戦までの間の文学です。この間の日本の文学の在り方はどうであったか。作家が腰抜
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