グループに対して行った芸術論争は常に息のあらいものであったらしく、そこには、『明星』終刊に際して岩野泡鳴が「僕は君の雑誌のため黙殺または罵倒されかけたことも度々ありしなれど、あれは皆君が雑誌経営上から来ていたことゝ思はれたにつき」云々と云っているのは一面の真をつたえていると思う、と後年茂吉に云わしむるものもあった様子である。
『明星』は明治四十一年十一月に、満百号で廃刊した。「経費の償はざること一、予が之に要する心労を自己の修養に移さむとすること」が鉄幹の理由であった。ここには、『明星』のロマンティシズムの内容にも既に本質的な分裂としてかくされていた写実的自然主義文芸思潮の成長と、ロマンティシズムに象徴派が影響しはじめた時代の推移が背景として含蓄されているのである。
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御空より半ばはつゞく明《あか》き道
なかばはくらき流星のみち
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四、入り乱れた羽搏き
一九〇七―一九一七(明治四十年代から大正初頭へ)
近代日本文学の歴史のなかで、自然主義の潮流がその推移の裡に示した姿と役割とは実に複雑で、興味
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