持が惻々として迫って来るというところに筆が到るには、花圃の人生は、未だ浅くあった。やみがたい内心の叫びがほとばしったという作品では元よりない。謂わば才に従って偶然に書かれた「藪の鶯」一篇には、しかしながら、何という生々しさで、日本の明治二十年という時代の波の影がさし込んでいることだろう。
「藪の鶯」の開巻一頁は、こんな工合ではじめられている。男「アハヽヽ、このツーレデースは、パアトナア計りお好で僕なんぞとおどっては夜会に来たようなお心持があそばさぬというのだから」女「うそ。うそ計。」云々、と。
これは鹿鳴館の新年舞踏会の場面である。恐らくあたりに響いていたであろう音楽や、人のざわめく雰囲気の描写などは一切なく、桃色こはくの洋服を着てバラの花を髪にかざし、赤い房の下った扇子で折々胸のあたりをあおいでいる美しくも凜としたところのある「年のころ二八ばかり」つまり十六歳ばかりの少女。多分に作者の俤を湛えていると思えるこの少女は服部浪子。「白茶の西洋仕立の洋服にビイツの多く下れるを着し」前髪をちぢらせた夜会巻にしているやや年かさの娘は、成上り華族で、家の召使たちにまで西洋風の仕着せをきせている
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