人々があつまったことも、明治二十九年の日本で初めての光彩ある前期印象派の団体白馬会の生れたことと照しあわせて興味ふかい。
 この『明星』は、『文学界』の最終号で、藤村が「あはれなるロマンティシズムの花の種のそこここにちりこぼれたる」と云った、その一つの花の種であることは明かであったが、日清戦争の前と後とでは、ロマンティシズムの種も変化を蒙って、鉄幹の新詩社は、文学界の芸術至上に立つロマンティシズムを気弱だと評した。そして鉄幹は、三十年に発表した詩集『天地玄黄』で、戦勝日本に漲った民族の意識を代表し、新たにうちしたがえられたと思われた土地へ流れひろがろうとする欲望の歌いてとして自身をあらわしたのであった。
 鉄幹のそのような「荒男神」ロマンティシズムは、三十四年に有名な「美的生活論」を書いて、後世から支配する者のロマンティシズムとして認められている高山樗牛のロマンティック思想と本質をひとしくするものであり、ロマンティシズムとしての社会的感情の源泉も、はなはだ目前の事象的亢奮に刺戟された支配者的な要素の多いものであった。
 樋口一葉は、このような三十年代日本の渾沌の前後、前期ロマンティシズ
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