、そのような複雑な女同士の心理を背景としてみれば、肯ける。一葉が「一時間くらいしな[#「しな」に傍点]をして」、小説のことに触れるような触れないような話しかたをしたぎりで、かえって行った時のことを、花圃は、単純率直でない一葉の人柄の一面として見ている。それも当っているだろう。が、私たちが今日遠くはなれた明治のその時代のその環境において、十九か二十だった一葉のそういうとりなしを思いやると、そこには、花圃に泣くなんて下らないと云われても、おのずとせくりあげて来た一葉の涙があったのと同じ心理の翳を感ぜずにはいられない。
 たとえば、花圃に向ってしねくねとしながらの言葉づかいにしろ、同門の先輩への敬意というばかりで、ああいう口調になったのだろうか。「藪の鶯」のなかで、逍遙が最も傑出した部分として賞めている女学生たちの会話を見ると、当時でも開化の教育をうけた上流の令嬢たちはお互同士「アラ、よくってヨ。あんまりこもっているから、炭素を追出してやるんだワ。あんな口のへらないこと。」などという調子で喋りあっている。花圃の方ではお夏ちゃんと呼んでも、そのひとの屋敷のうちに田圃まであるような家を訪ねれば、
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