ども、こまかに眺めると、この時評の言葉の中には、どっさりの課題が、比較的安易にいくらかの高飛車に投げ込まれていることがわかる。
この文章でも、「婦人作家」と云えば、その一人一人にどんな資質の相異があろうとも、その事実にはおかまいなく一からげにして扱って来た従来の習慣がくりかえされている。「婦人作家たち」がひとからげにして、その外界への視界の小ささを云われている。だが現実に即して観察したとき、果して、そのようにおおざっぱに云い切ってしまえるものであろうか。唯一人の婦人作家も、外界の現実に向ってひろげられている視力を持ち合わしていないと、果して云い切ってしまえるものだろうか。
更に、婦人作家たちがひたむきに燃え立っている芸術至上主義と云われているものについても、私たちにはそこに複雑な外界世界との錯交を見るのである。
多くの婦人作家が、何故にただ内側の狭い女心に執し、文学の香気や自身の風格に立てこもることになったか。それは、「婦人作家らしい匂い」とか「婦人作家にしか描けない女心」とかいう批評の基準で、婦人作家の作品を扱って来た従来の日本文学の偏頗《へんぱ》な好みと、切っても切れない因果
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