を、文学の道に費して来ている。真杉、矢田、大田この三つの名は嘗て『女人芸術』が長谷川時雨によって出されていた時代から習作風な短篇とともに知られていた名であった。初めは戯曲家で出発した円地文子の名が、記憶にあるのは久しいことであるし、地味な大谷藤子が、ぽつりぽつりと発表して来ている作品の数も既に少くない。中里恒子という作家の一種の作風に馴染んでいた読者の層は、「乗合馬車」よりも、何年か昔にさかのぼって数えられるであろう。よそめには、一番新しく作品を書きはじめたように思われている壺井栄でさえも、十年ばかり前からいくつかの作品は書いている。池田小菊が「甥の帰還」という作品で示した一定のまとまりまでには、発表した作品も少くなかった。
何故これらの婦人作家たちの存在が、ほかならぬ昭和十四年において、俄かに、群れ立ったような印象で雑誌の文芸欄を賑したのであったろう。そこには極めて複雑な要因が潜められていた。
先ずこの現象を考えようとするとき、私たちを沈思させる点は、この時期の婦人作家たちの活動が、決して現代日本文学の興隆の表現でなかったし、そのような本質のものとして歴史的に見られるものでもない
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