一つのはっきりした反撥を示している。「女性の自由解放という声は随分久しい以前から私共の身辺にざわついている。然しそれが何だろう」「女性をしてたゞ外界の圧迫や拘束から脱せしめ、所謂高等教育を授け、ひろく一般の職業につかせ、参政権をも与え、家庭という小天地から又は親といい夫という保護者の手から離れて、所謂独立の生活をさせたからとて、それが何で私共女性の自由解放であろう。」そういうものは総て「方便である。手段である」「潜める天才偉大なる潜在能力」を発揮させる妨害となるものとして、取り除かなければならないのは「我そのもので」あるというのがらいてうの結論なのであった。
 これらの論調は、今日の私たちに、おのずから高山樗牛のロマンティシズムを思いおこさせずにはいない。
 樗牛は、『青鞜』が現れる丁度十年前「美的生活を論ず」という論文で、独特華麗なロマンティックな文筆的雄弁をふるいながら、人を服従させる立場に立って、三十年代の日本の市民的自覚の当然のみのりとして、権利と義務という観念が云われはじめたことに反対した。「人生の帰趨は貸借の外に超脱するを如何せむ。」「嗚呼憫むべきは飢ゑたる人に非ずして麺麭
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