交ぜたような濃艷、幽怨趣味にかわり、主として自然の風情だの
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天上の善き日におとる日としらず
      おんいつはりの第一日を
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という調子で情懐をうたっている。三十七年の、「君死にたまふこと勿れ」という、戦争へ抗議した有名な長詩で、当時の「愛国詩人」大町桂月と『明星』とが論争したことも、日本の近代文学史の上で記憶されるべき出来ごとである。晶子が短歌の世界と散文の世界とを区別して、歌ではいずれかというと刻々の現実から何歩かあゆみ離れた境地[#「境地」に傍点]とでもいうものをもって制作していることは、『明星』のロマンティシズムの時代的な弱さとしてみられる。ああいう歌をつくる人が、このような議論も書くということに対して瞠られる目。そして、生活はこのようにして、と身近な同感で随筆も読まれるということは、一応は一人の婦人芸術家のゆたかな多面性のようではあるが、文学の現実としてみれば、歌にある情緒の型と随筆評論のうちにある生活的な意志との間の分裂を、ただ多様性とばかり見ることは出来ない。
「たけくらべ」が前期ロマンティシズムのきわまった所産として完成をもっているのは、その作品の世界が当時の多くの作品のような架空に立っていないで極めて具体的現実的な細部の描写を基礎としていながら、全節を一つの詩情でくるんでいる、その美感であった。
 晶子の時代になれば、ロマンティシズムも既にそういうまとまりのうちに止まれない歴史性をもって生まれて来ている。大局からみれば、短歌における詩情というものの解釈や古来伝承している風趣への関心が、出発において溌剌生新であったそのロマンティシズムを、やがて評論や随筆に見られる社会的要素から遊離したものとしてしまったと考えられる。このことを逆にみれば、散文の著作では従来男のかいた論文の調子にそれなり追随する結果ともなって、晶子でなければ求められない論調の表現、リズム、詩性にまでたかめられた理性の光波というものは、見出されないままに止まったのである。
 晶子は、いつか自分のこのような深刻な分裂に心づいた時があっただろうか。或は、ずっと気づかぬままに、年が閲《けみ》されたのではなかろうか。あれだけ多量に影響のつよい作歌活動を行ったにもかかわらず、晶子は、自身として創作についての理論をもっていなかったことは『みだれ髪』
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