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「早熟の少女が早口にものいふ如き歌風であるけれども」と後年斎藤茂吉が評しているこのリズムが、当時にあって、どれほど新鮮な感動を与えたか。おそらく今日想像の及ばないほどつよく烈しく芳しい新風であったのだろう。
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やは肌のあつき血潮にふれも見で
      さびしからずや道を説く君

恋を知らでわれ美を神にもとめにき
      君に今日みる天の美地の美
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 ここにはただ女の恋のよろこびの歌のひとふしがあるばかりでなく、『文学界』のロマンティシズムがもたなかった肉体の愛の表現の肯定が、活々と脈うっていることに注目をひかれる。
 封建の風をつたえて、紅葉などでも作家が自分の恋愛の問題を文学に扱うのを、人の前に恥をさらすと云っていたような時代。そして、吉原での痴戯は憚らず描かれているが、恋とはとりも直さず痴情としてみられていた時代、『文学界』の若きロマンティストたちは泰西の愛についての考えかたを主張し、封建風な低い痴れごとの観念に対抗して、男女の間にあり得るダンテ的な愛の境地を強調した。肉体をはなれた心と心との美しい愛を求め描いたのであった。
 殆どあらゆる作品に、何かの形で破恋を描いた一葉も、恋愛そのものについては不確定な態度で、心の奥ではやはり昔ながらに恋はこわい執着、さけがたい人間の迷いという考えかたをかなりつよくもっていたらしい。一葉としてはそういう心の角度から、周囲の『文学界』の人たちが、すぐ世間並の恋のいきさつに入らない接触を保っていてくれるのが或るたのしさであったように思われる。この点でも、一葉とロマンティストたちの交渉はなかなか面白くて、云わば一葉のむかし気質と『文学界』の新しからんとする意図とが、それぞれ反対のところから出て来ながら或るところで一つにとけ合った形なのであった。
『みだれ髪』の巻頭の三つの歌をみても感じられるとおり、晶子は、一葉より六つ年が下であるというちがいばかりでない天性の情熱の相異と、芸術とともに燃え立つ恋愛から結婚への具体的な飛躍を経て、人間の美として精神に添う肉体の輝きを肯定したのは、日本におけるロマンティシズムの一推進として甚だ興味がある。
 山田美妙が小説「胡蝶」の插画に裸体の美女をのせたことで囂々たる論議をまきおこしたときから十年余を経た日清戦争後には、日
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