と想像される。
 しかし、そのつき合いに対しても、一葉は一面に男の人たちはよろずにおおらかで、話し甲斐もありと見ゆれど「それもさるものにて、いさゝかやましきことそはぬにしもあらず」という気持をもっている。このひとたちは、今はこうやって、無識無学の女一人の自分に議論の仲裁などをもさせ、将来どんな境遇になっても友情に変りはないと云っているけれども「親密々々こはこれ何のことの葉ぞや」「偽《いつはり》のなき世《よ》也《なり》せばいか斗《ばかり》この人々の言の葉うれしからん」という感情も一葉にあった。そして「かりそめの友といふ名に遊ぶ身なり。このかるやかなる誓さへ末全からんや」と人のつき合いのはかなさを歎いている。一葉は大音寺前をひき上げて来るとき一つの心の飛躍をしていて、その飛躍の性質はやがて彼女に「うら紫」のお律の人生態度を描かせたものと通じている。「花ごもり」のお近が一葉の処世の全部の気持であり得なかったと同時に、純真な青年たちの感激の言葉に対しても同じ年ごろの女性らしい全心の傾倒は示さないで、偽のない世ならこういう言葉もどんなにうれしく聞けるだろうという不信を抱かせている。
 人生や友情に対するそういう実際的な不信頼懐疑をも、一葉はむき出しな人生論として皆とは話さず、その時代らしく仏教的に行方定めぬ人の姿として自分の感情の中にもっていただろうし、その期待するところのすくないような一葉の友情の態度は、『文学界』の人たちの情緒に、一種端倪すべからざる複雑さで映り、なお友情のニュアンスをふかめることともなったにちがいない。
 一葉と『文学界』の潮流との交渉はこのように、文芸思潮の表面からは論じがたく、しかも、一葉の芸術の感情的なゆたかさ、高まりのための刺戟としては、血肉のつながりをもって進んだ。
 二十八年七月の「にごりえ」は、このような周囲の雰囲気の中から生れた。当時も大変好評で、『文学界』の人たちはこころもちのよい無私のよろこびを示している。一葉は「此世にはこの世をうつす筆」というはっきりした自覚に立って、自分の住居の隣りにある銘酒屋の女たちの生活や身辺の実際の人の身の上などから、この一篇を書いた。庶民の日暮しの目撃に立ってかいている。この一篇も注目すべき作品ではあるけれど、源七がお力を殺して死ぬのが結末となっている全体の結構はやっぱりまだ「やみ夜」などの系列に属してい
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