などうたへるをば、いみじういやしきものに云ひくだすこゝろしりがたし。今千歳ののちに今のよの詞をもて今の世のさまをうつし置きたるを、あなあやしかゝるいやしき物更にみるべからずなどいはんものか。明治の世の衣類、調度、家居のさまなどかゝんに、天暦の御代のことばにていかでうつし得らるべき。それこそは、ことやうなれ。」
 これまでも、文学の純粋さを守ろうとする一葉の感想は様々の形で様々の矛盾をふくみながら語られて来ていたが、ここで、初めてそういう芸術至上の感慨の表現ばかりでなく、はっきりした自分の創作態度というものを表明しているのは興味ふかい。一葉はここへ来て、自分を旧来の女流文章家というものから区別する明瞭な一つの自覚をもち始めるようになったと思われる。自分の生きている時代の描きてとして自分と自分の文学とを後世に向ってうち出して行こうとするはっきりした意図。旧套の和文脈美文が示している表現力の限界を理解して、生活の中からの言葉、表現の評価に目を向けていること。いずれも、一葉の作家的自覚の著しい進歩と高まりである。
 自分の芸術に対して、ここまで歩み出した一葉は同時に日常生活に向っても次第に雄々しい腰の据りを示して来ている。或る日の夕はんがすんだら、あとにはもう「一粒のたくはへもなし」と母の瀧子はしきりに歎き、邦子はさまざまにくどく。もとの一葉であったなら、勝気な胸に忽ち例のわが身一つは捨てもの、という動揺を感じて癇をたてたであろう。けれども、この時は「静に前後を思ふてかしら痛き事さま/″\多かれど、これはこれ昨年の夏がこゝろなり、けふの一葉はもはや世上のくるしみをくるしみとすべからず、恒産なくして世にふる身のかくあるは覚悟の前なり」と云っている。
 一葉を、そこまで押しすすめた力は、果してただ一葉ひとりの天分とでもいうようなものだけによるだろうか。日記にはごくあらましの表現で云われているが、当時、一葉の周囲をとりかこんでいた『文学界』の人々の影響は、一葉の成長に見のがせない意義をもっていると思う。
「雪の日」を『文学界』にのせて以来、同人たちとの交際は次第にひろく近しく繁くなって来ていて、一葉が丸山町の池のある家へ住むようになってからは、一日に誰か同人たちが訪れない日はないという有様となっている。人生上のいろいろな若々しい感動、文学についての論談やヨーロッパ文学の噂も、論談
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