の影響をうけた日本の小説界の動きに対して、全く圏外にある上流紳士、令嬢たちの嗜み余技の中心として安住していたことが察せられる。
初対面の桃水の印象を一葉は日記にこまかく熱っぽくかきつけている。
「君はとしの頃|三十年《みそぢ》にやおはすらん。姿形など取立ててしるし置かんもいと無礼《なめ》なれど、我が思ふ所のままをかくになん。色いと白う、面おだやかに少し笑み給へるさま、誠に三歳の童子もなつくべくこそ覚ゆれ。丈《たけ》は世の人にすぐれて高く、肉豊かにこゑ給へばまことに見上るやうになん。」
桃水はこの次はこういう小説をかいて御覧なさいというような話しをしたり、一葉の生活の楽でないことから桃水自身の「貧困の来歴など残るくまなくつげ」たりして、その上に、お互に若い男女のつき合いと思えば面倒くさい、お互に「親友同輩の青年と見なしてよろづ談合をも」するからなどと云っている。
次第に桃水にひかれて行くようになった一葉の心持を、其々の研究家たちが其々に評している。あれほど見識のあった一葉が、どうして半井ぐらいの男性に魅せられただろうか、という疑問を、ひとしく提出している。一葉は顔ごのみで、桃水はともかく美男だった、という点から観察するひともある。その時分かいたものの中にある描写から察しても、なるほど一葉の心におかれていた美しい男の風貌の標準は、ごくありふれた内容で、つまり彼女のかく美文めいた趣味であったことは推察される。けれども、一週間ほどして二度目にあったときの日記に、
「うしは先の日まみえまゐらせたるより今日は又親しさまさりて世に有難き人かなとぞ思ひ寄りぬ」とかきしるした動機には、桃水の容貌ばかりでなく、一葉の若い心情をつよくとらえたものがあったと考えられる。
二年ごしひとりで苦しみながらあてもなく焦立っていた自分の小説について、桃水が新聞向きの作風ではないからと一葉の気質を鑑定した上、紅葉に紹介しようと云ってくれたことも、それこそが眼目で紹介されて来ている一葉にとって前途のひらけてゆくうれしさであったろう。母と妹とが、生活の上では彼女ひとりにとりすがって、息をこらし気配をうかがっているような負担を夜昼感じている一葉にとって、青年同士と思って語り合おうと云ってくれる男のひとのいることは、どんなにか頼もしく感じられただろう。
だが、もし半井桃水という男が、同じ親切を示しな
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